デミオ、アクセラ、CX-5、ロードスター……、今マツダのクルマの多くには、「ソウルレッド」と呼ばれるメタリックレッドがイメージカラーに据えられています。10代20代の若い世代の人なら、「マツダ=赤」のイメージを持っている人もいるかもしれません。しかし、1980年代を知る人にとって「赤いマツダ車」といえば、ファミリアではないでしょうか?
第1回「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
ファミリアは、1963年に初代モデルが登場したマツダの小型車で、2003年にアクセラが登場するまで、40年にわたって続いたマツダのビッグネームのひとつ。中でも社会現象を巻き起こすほど大ヒットを飛ばしたのが、1980年に登場した5代目「BD型」です。
ファミリアとして初めてFF(前輪駆動)を採用したこのBD型は、3ドア/5ドアのハッチバックに、1.3L/1.5Lガソリンエンジンを搭載してデビュー(のちに4ドアセダンも追加)。
特にハッチバックは、当時のアクティブな若者をターゲットとして開発されたもので、スタイリッシュなデザインから大ヒット。当時、日本の“二強”だったトヨタ・カローラと日産・サニーを相手に、月間販売台数ナンバーワンを記録することもあったほどでした。
日産・サニー1500 TURBO LEPLIX(1982年)
第1回・日本カー・オブ・ザ・イヤーとなる「1980-81日本カー・オブ・ザ・イヤー」も受賞。その勢いは衰えず、1982年には生産開始から27カ月で生産100万台を達成し、それまでシボレー・サイテーションが持っていた29ヶ月という世界最短記録を塗り替えます。
電動サンルーフとラウンジソファシートを装備する「XG」
BD型ファミリアの中で、特に高い人気を誇ったのが、赤いボディカラーでカタログの表紙やテレビCMに登場していた、3ドアハッチバックの最上級グレード「XG」でした。
ファミリア1500 XG(1980年)
フルフラットになるフロントシートに、「ラウンジソファシート」と呼ばれるトリムと一体感のあるソファのようなリヤシート、そして電動サンルーフ(これも標準装備!)が、当時のサーファーたちの目にとまり、赤いファミリアにルーフキャリアを付け、サーフボードを搭載するスタイルがステータスに。
サーフィンをやらない人までもがサーフボードを積み、「陸(おか)サーファー」という言葉が流行語になるほどでした。社会現象になるほど「赤いファミリア」はヒットしたのです。1983年にはマイナーチェンジが施され、ターボエンジン搭載モデルを追加。当時解禁となったドアミラーの装着車も設定されました。1984年には、ファミリア生誕20周年を記念した「ターボスポルトヨーロッパ」も発売。
マツダ・ファミリア ターボスポルトヨーロッパ(1984年)
時代はハイソカー、デートカーへ
ブームというのは一過性のもの。また1980年代は、バブル経済に向かっていく好景気の最中にあり、クルマに対しても上昇志向が強かった時代です。ファミリアは1986年に6代目のBF型へとモデルチェンジしますが、「赤いファミリア」ほどのヒット作とはなりませんでした。
1984年にデビューしたトヨタ・マークII(70型)や、1988年に登場した日産・シルビア(S13型)が大ヒットを飛ばしたといえば、時代の雰囲気がわかってもらえるのではないでしょうか。
日産・シルビアJ’s(1988年)
しかし、マークIIやシルビアを始め、“ハイソカー”や“デートカー”といわれるヒットしたのは、「赤いファミリア」でクルマを持つ歓びや楽しさを知った若者が多かったからだとも考えられます。またこの5代目ファミリアは、1970年代のオイルショックにより低迷していたマツダを救う一助となったクルマでもありました。
たしかに、「赤いファミリア」は、1980年代前半に起きた一過性のブームだったといえるでしょう。しかし、当時の若者たちにクルマの楽しさを教え、マツダの苦境を救った5代目ファミリアは、マツダの歴史と日本のクルマ文化を語る上でなくてはならない存在なのです。
text by 木谷宗義+Bucket
photo by マツダ、日産自動車
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