いよいよ日本にも本格的な大衆車時代がやってくる!そんなワクワクする時代にボディに「国民車」と書かれた三菱の自動車が颯爽とデビューしました。
家族の生活を便利にしてくれる大衆車の時代にいち早くリリースされたこの車は、まさに時代の申し子でした。
さて、その車の名前はなんでしょうか?さっそく問題を見てみましょう!
- ①三菱 500
- ②三菱 コルト
- ③三菱 ミニカ
- ④三菱 360
解答:①三菱 500
今から約60年前の車なので、若い世代の方は知らない人が多いかもしれませんね。でも当時は、モータリゼーションプランが生み出した国民車の代表選手として、大々的に宣伝されました。
それでは、当時の雰囲気を振り返りながら正解を見てみましょう!
車体には「三菱○○○国民車」の文字!
乗用車は19世紀末に馬に変わる移動手段として登場しました。したがって当時は、もともと馬車で移動していた貴族や大金持ちだけのぜいたくな所有物でした。自動車が登場した頃は道路もまだ整備されていなかったこともあり、実用的な用途というよりは、上流階級の道楽として自動車がもてはやされていたわけですね。今で言うと、個人所有の高級ヨットや客船といったところでしょうか。
20世紀の初めにアメリカでフォード車が大量生産方式を導入し、一般的な庶民でも手に入る大衆車が登場します。日本では、敗戦後しばらくたった1950年代に高度経済成長期に入って国民の所得も上がり、大衆車を求める声が庶民の間から高まってきました。そんな中、1955年に通産省(現経済産業省)がモータリゼーションプランを作成します。
このモータリゼーションプランでは、国が定めた一定の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国がその製造と販売を支援するという方針が発表されました(正確には発表前に新聞社にスクープされました)。その要件とは、以下の通りです。
- 4名が搭乗した状態で時速100kmが出せる(ただし、定員のうち2名は、子供でもよい)
- 時速60kmで走行した場合、1リッターのガソリンで30kmは走れる
- 月産3,000台(構造が複雑ではなく、生産しやすいこと)
- 工場原価15万円/販売価格25万円以下
- 排気量350 – 500cc
- 走行距離が10万km以上となっても、大きな修理を必要としないこと
- 1958年秋には生産開始できること
4名乗れて子供連れもOK、時速は100Km、1リッターあたりの燃費や修理の手間など、とても具体的で、家族で休日にドライブしている姿が目に浮かんできます。いよいよ日本でも一般家庭で車を所有する時代が来たのだな、という夢を感じさせる条件ですよね。
三菱自動車でも、1960年に夢の大衆車生産販売が実現します。その車は、通産省の基準を満たしているのはもちろんですが、車体に大きく社名とともに「三菱○○○国民車」と書かれていました。国民に向けて、「我が国でも本格的な大衆車(国民車)の時代が来ましたよ!」とパブリシティを前面に出したのは三菱自動車が初めてでした。
さて、その車名とは・・・?
正解は、「三菱500国民車」・・・つまり「三菱 500」でした!
意味は子馬?!俊敏で軽快な大衆車「コルト」
「三菱 コルト」の「コルト」とは英語の「子馬」という意味です。発表は2002年ですので、正解の「三菱 500」から42年後に世の中に登場した車となりますね。子馬という名前にふさわしい俊敏で軽快なデザインは、2002-2003年のグッドデザイン賞の商品デザイン部門を受賞しています。2004年には欧州仕様コルトが、ドイツのカー・オブ・ザ・イヤーである「ゴールデン・ステアリングホイール賞」の小型車部門を受賞しました。
発表後も毎年のように意欲的なマイナーチェンジを施し、2013年に販売終了するまでファンに愛されてきました。
軽自動車らしさを追求し幅広い支持を集めた「ミニカ」
「三菱 ミニカ」は三菱自動車初の軽乗用車として1962年にデビューしました。以後2007年に至るまで、乗用モデルとして8代45年(商用モデルはその後4年まで販売継続)に渡って三菱の軽乗用車をリードしてきました。
軽自動車のミニバン路線(軽トールワゴンタイプ)をあえて追求することなく、軽自動車らしい運転し易いコンパクトな形状、価格を維持して主婦や高齢者、商用を含め幅広く親しまれてきました。
商用車でありながらスタイリッシュなボディ!「360」
「三菱 360」は1961年にデビューした三菱初の4輪商用軽自動車です。店舗や小規模の工場、事業所などをターゲットとして、商品の小口輸送や人員の輸送、連絡の用途向けに開発されました。
当時モータリゼーションプランによって大衆車の人気が高まっていたことにも考慮し、商用でありながらも「広く、低く、美しく」というデザインコンセプトを採用し、1962年の初代「三菱 ミニカ」のベースともなりました。
text by 大福武志