みなさんは「エポックメイキング」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
これは、ユニークな発想で新しい時代を切り開くなど、「画期的であること」を表す言葉。自動車雑誌などで「エポックメイキングなクルマ」のように使われているのを、見たことがある人もいるでしょう。
「エポックカー図鑑」は、ちょっと変わった発想から新しい価値をもたらしたクルマたちを紹介してきます。第1回目は、日産・プレーリーに焦点を当ててみました。
プレーリーの何がエポックだったのか?
プレーリーは、日産が1982年に発売した3列シートの乗用ワゴンです。今、ファミリーカーは3列シートのミニバンが一般的ですが、1980年ごろはセダンが主役だった時代。当時、3列シート車といえば、日産・キャラバンやトヨタ・ハイエースのようなワンボックスワゴンしかなく、どれも商用バンをベースにしたものでした。
1800 JW-G(1982年)
そんな時代に登場したプレーリーは、背の高い2ボックススタイルのボディにスライドドアを組合わせて登場。これまでにないファミリーカーのスタイルを示してくれたのです。
1800 RV-S(1982年)
FFレイアウトにピラーレスボディを採用
1982年に登場した初代プレーリーは、全長4090mm×全幅1655mm×全高1600mm。ボディ構造はモノコックで、駆動方式はFF(前輪駆動)でした。特徴は、「センターピラーレス」であること。
1800 JW-G(1982年)のインテリア
今、トヨタ・アイシスやダイハツ・タントで採用されるセンターピラーレスボディの元祖は、プレーリーだったのです。しかも、アイシスやタントが片側のみであるのに対し、プレーリーは両側がピラーレスでした。
プレーリー エステート(1982年)
エンジンは1.5Lと1.8Lのガソリンエンジン。バリエーションとして、3列シートだけでなく2列シートモデルや、商用バン仕様のエステートもありました。
ミニバン的乗用ワゴンの草分けに
背高ボディにスライドドア、3列シートを持つプレーリーは、乗用車の新しい形として一定のニーズを獲得。三菱・シャリオ(1983年)などのライバルを生み出し、1988年には2代目、1998年には3代目(プレーリーリバティ)へと進化。ラフェスタ、ラフェスタ・ハイウェイスターへとそのバトンを渡していきます。
プレーリーJ6 ATTESA(1988年)
その間、日本のファミリーカーのスタイルが大きく変化し、3列シートミニバンが主役になっているのはご存知のとおり。初代プレーリーは、大ヒット作とはなりませんでしたが、後世の乗用車像に大きな影響を与えたことは、まぎれもない事実。単に「ユニークな発想で作れた日産の意欲作だった」と語られることも少なくありませんが、それだけではない、時代を先取りしたエポックメイキングな1台だと断言できるでしょう。
text by 木谷宗義+Bucket
photo by 日産自動車
<関連記事>
木谷宗義の記事
https://car-days.fun/blog/tag/木谷宗義