【豆知識】「ハコスカ」から「R31」まで、歴代スカイラインの開発責任者を務めたMr.スカイライン「桜井眞一郎」

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「日産の代表車種はなんですか?」と聞かれたら、あなたはなんと答えますか? 今でこそ、日産を代表するモデルといえば、EV(電気自動車)の「リーフ」やミニバンの「セレナ」ですが、やはり「スカイライン」と答える人は多いでしょう。

今13代目(V37型)が販売されているスカイラインは、歴代にわたって”走りのFRセダン”として定評があるモデル。そのスタイルを確立したのが、「スカイラインの父」と呼ばれた故・桜井眞一郎(さくらいしんいちろう)氏です。

目次

夢を叶えるため清水建設からたま自動車へ転身

桜井眞一郎氏は1929年、神奈川県生まれ。旧制横浜工業専門学校(現・横浜国立大学工学部)から新卒でプリンス自動車へ……ではなく、新卒採用がなかったことから清水建設に入社。日本で初めてバッチャープラント(セメントをこねてコンクリートにする機械)やコンクリートミキサー車を開発するなど、その才能をいかんなく発揮します。

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プリンス・スカイライン1500デラックス(1960年)

社内での評価も高く、将来を期待されていたようでしたが、自動車開発の夢を叶えるため1952年、同年「プリンス自動車」と社名変更される「たま自動車」に入社。すぐにその才は認められ、1957年に発売されることとなる初代スカイライン(SI型)のサスペンションなどを手がけました。

3代目「C10型」から7代目「R31型」まで開発指揮を執る

2代目「S50型」の途中から開発責任者(主管)に。そして「ハコスカ」の愛称で知られる3代目「C30型(1968年)」から、7代目「R31型(1985年)」まで、一貫して開発の指揮を執り続けます。桜井氏は「高い走行性を持つスポーティなFRセダン」というスカイラインのスタイルを確立しただけでなく、「運転して楽しいセダン/クーペ」というジャンルを築いた人物だといっても過言ではないでしょう。もちろん、「GT-R」を誕生させたのも桜井氏でした。

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プリンス・スカイライン セダン2000GT(1971年)

しかし、7代目「R31型」の開発終盤、桜井氏は病に倒れ、伊藤修令(いとうながのり)氏にその座を譲り、30年以上携わってきたスカイライン開発の第一線から退きます。ちなみに後任の伊藤氏は、8代目「R32(1988年)」の開発責任者を引き続き務め、1972年より途絶えていたGT-Rを復活させた人物です。

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日産・スカイラインGTS-X Twincam 24V Turbo(1986年)

エス・アンド・エス・エンジニアリングを設立して環境技術開発へ

R31型の開発から離れた桜井氏は退院後、技術車両設計部の部長を務め、1986年にオーテックジャパンの初代社長に就任。1995年には、エス・アンド・エスエンジニアリングを設立し、温暖化や排ガス問題に対応する技術の開発に取り組みます。国内で初めてディーゼルエンジンのNox(窒素酸化物)/(PM粒子状物質)低減技術の商品化するなど、70歳をすぎても現役のエンジニアとして活躍しました。

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スカイラインの開発を指揮する桜井眞一郎氏(1981年)

その後、長野県岡谷市にある「プリンス&スカイラインミュージック」の館長、名誉館長を歴任。2005年には日本自動車殿堂に殿堂入りを果たし、2011年にこの世を去るまで自動車の技術と文化を支え続けることとなります。

物事に「もしも」はありませんが、もしも桜井眞一郎という人物がこの世に生まれていなかったら、日本のクルマの方向性や文化はまったく違ったものになっていたかもしれません。

text by 木谷宗義+Bucket

photo by 日産自動車

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