【豆知識】60周年を迎えたスカイラインの歴史を紐解く・その1「ALSI型~R30型」

1

まだミニバンやSUVという存在はなく、セダンやクーペが主流だった時代。誰もが憧れを持って接していたクルマがありました。日産・スカイラインです。スカイラインは、今13世代目が販売されているご長寿ネームで、初代モデルの登場から2017年で60周年に。そこで2回にわたって、その時代を写してきた歴代スカイラインを見てみましょう。

目次

初代ALSI型:1957年(昭和32年)

2
プリンス・スカイライン1500デラックス(1957年)

スカイラインの歴史は、明仁親王殿下(今上天皇)の立太子にちなんで命名された「プリンス・セダン」の後継モデルとして発売されたことから始まります。エンジンは、1.5Lの直列4気筒OHVで、44kW(60ps)を発揮。125km/hの最高速度は当時、国産乗用車で最速だったと言われています。スカイラインは当初から「走りのセダン」だったわけですね。

3
プリンス・スカイラインスポーツ(1962年)

1962年には、イタリアのデザイナー、ジョバンニ・ミケロッティによる流麗なクーペ/コンバーチブルの「スカイライン スポーツ」も登場。シャシーとエンジンはグロリアのものが流用されたこのモデルは、クーペで185万円(現在の貨幣価値換算で2000万円)と非常に高価だったため、60台ほどが生産されたのみでした。

2代目S50型:1963年(昭和38年)

4
プリンス・スカイライン1500デラックス(1963年)

初代スカイラインは、およそ5年でモデルチェンジ。初代がテールフィンを持つアメリカ車風のデザインだったのに太子、日本流のファミリーセダンスタイルに。モノコックボディを採用した他、エンジンのメンテナンスフリー化(封印エンジンとして保証がつけられた)したことも画期的でした。

5
プリンス・スカイライン2000GT(1965年)

写真は1965年に登場した2000GT(S54B型)で、ボンネットを延長して2.0Lの直6エンジンを搭載。1964年の第2回日本グランプリに出場し、ポルシェ904GTSを一時抜き去るという快挙を成し遂げた「スカイラインGT」の市販版です。「羊の皮を着た狼」という表現はこのスカイラインGTから生まれたと言われています。なお、1966年にプリンス自動車が日産自動車と合併したことから、名称が「日産・プリンス・スカイライン」に。次の3代目より「日産・スカイライン」となります。

3代目C10型:1968年(昭和43年)

6
スカイライン1500デラックス(1968年)

のちに「ハコスカ」と呼ばれる世代のスカイラインは、「愛のスカイライン」としてグランドツーリングカーのイメージが訴求されました。ロー&ワイド化したボディは、2ドアハードトップ(以下H/T)、4ドアセダンの他、バンも用意されるなど、ボディバリエーションが一気に拡大。4気筒エンジン搭載車と6気筒エンジン搭載車でボンネットの長さが違うのは、2代目と同様です。

7
スカイライン2000GT-R(1970年)

ハコスカ世代のニュースは、GT-Rの誕生でしょう。1969年に4ドア(PGC10型)、1970年に2ドアH/T(KPGC10型)が登場し、国内のレースシーンを席巻。1972年10月のワークス活動休止までに、通算52勝(うち49連勝)という記録を打ち立て、スカイライン伝説を築き上げました。エンジンは「R380」レーシングカーゆずりの、S20型2.0L直6DOHCを搭載。

4代目C110型:1972年(昭和47年)

8
スカイライン セダン1800スポーティGL(1972年)

「ケンとメリーのスカイライン」の広告で大ヒットを飛ばし、“ケンメリ”と呼ばれたのがこの4代目スカイライン。先代同様に2ドアH/T、4ドアセダンに、3/5ドアのバンとワゴンが設定され、4気筒と6気筒エンジンの搭載も継続。R34型まで続く伝統の「丸テール」が採用されたのは、この世代からです。

9
スカイラインGT-R(1973年)

S20型エンジンを搭載するGT-Rも発売されたものの、厳しさを増す排ガス規制の中、日産はレース活動を休止。ケンメリGT-Rは一度もレースに出場することなく、市販車もわずか4ヶ月で生産終了となります。その台数はわずか197台。GT-Rこそ少数となったものの、ケンメリ・スカイラインは大ヒットモデルとなり、およそ66万台という歴代スカイラインの中でナンバーワンの販売台数を記録しました。

5代目C210型:1977年(昭和52年)

10
スカイラインH/T 2000GT-E・X(1977年)

日本生まれの日本の名車を意味する「SKYLINE JAPAN」をキャッチコピーに登場。「ジャパン」の愛称で親しまれたモデルです。発売翌年の1978年には、「昭和53年排気ガス規制」をクリアしたエンジンを搭載し、型式名は「C211型」に。

11
スカイライン ターボ2000GT=E L(1980年)

1979年のマイナーチェンジでは、スポーティはGT系グレードに角形異型ヘッドランプを採用。さらに1980年には待望のターボエンジン搭載車がデビューし、排気ガス規制でおとなしくなっていたスカイラインに、新しい息吹を吹き込みました。テレビドラマ「西部警察」に登場するようになったのもこの世代。

6代目R30型:1981年(昭和56年)

12
スカイライン H/B 2000ターボGT-E・X(1981年)

現代に続く「R3◯型」の型式名を名乗る最初のモデルは、1981年にデビュー。俳優でレーシングドライバーであるポール・ニューマンがイメージキャラクターに起用されたことから、「ニューマンスカイライン」と呼ばれました。この世代から4気筒モデルも、6気筒モデルと同じロングノーズに統一。ワゴンボディは新たにハッチバック(H/T)となります。

13
スカイライン 2ドアH/T 2000ターボRS・X

1983年には、FJ20ET型2.0L直4DOHCターボを搭載するRS系がデビュー。4気筒ながら、日本初の「4バルブDOHCターボ」として注目されました。同年のマイナーチェンジで、「鉄仮面」と呼ばれるようになるグリルレスのフロントマスクにチェンジ。RS系の最高出力は、最終的に205psまで引き上げられ、「よりパワフルにより豪華に」という流れを加速させます。

こうして歴代モデルを順に見ていくと、スタイリングが現代的になっていくと同時に、「スカイラインらしさ」が確立されていくことがわかりますね。次週は、7代目R31型から最新のV37型までを追ってみたいと思います。

text by 木谷宗義+Bucket
photo by 日産自動車

<関連記事>
1989年「国産車のヴィンテージイヤー」に生まれたクルマたち~その1
https://car-days.fun/blog/article/5365

1989年「国産車のヴィンテージイヤー」に生まれたクルマたち~その2
https://car-days.fun/blog/article/5553

ソアラにプレリュード…1980年代の若者が憧れた「デートカー」
https://car-days.fun/blog/article/1083

日産の「901運動」で生まれた名車たち
https://car-days.fun/blog/article/2547

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次