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あのメルセデス・ベンツ誕生に影響を与えた?!ドイツの偉大な発明家

皆さんはニコラウス・オットーという人物をご存知でしょうか。

ほとんどの人にとって馴染みがないであろうこの名前。ピンとくる方は、おそらく自動車工学の知識がある方ではないでしょうか。

実は彼、クルマの歴史において、とっても重要な”あるモノ”に関する発明家なんです。

今回は、そんな発明家ニコラウス・オットーにまつわる問題です。さっそく解いてみましょう。

3級(第3回):ドイツの発明家である”ニコラウス・オットー”氏に関する記述について、正しいのはどれですか。
  • ①蒸気自動車を発明した。
  • ②4サイクルガソリンエンジンを発明した。
  • ③T型フォードで大量生産を実現した。
  • ④パリ万博に電気自動車を出展した。

解答:②4サイクルガソリンエンジンを発明した。

いががでしたか、少し難しかったでしょうか?
それでは、問題の答えを探っていきましょう。

偉大なる発明家ニコラウス・オットーの生涯

発明家ニコラウス・オットーは、1832年6月10日にドイツで生まれました。

1859年、エティエンヌ・ルノワールが発明した石炭ガスを燃料とする内燃機関(シリンダー内で燃料を燃焼させることによりピストンを動かし、動力を得る原動機)をはじめて目にした彼は、その後、内燃機関の研究に没頭します。

当時の内燃機関といえば、電気分解から得られる水素ガスを燃料とした2サイクルエンジン。ところが1861年、オットーは液体燃料、つまりガソリンを使用した4サイクルエンジンを発明することに成功します。

このことから、4サイクルの概念は「オットーサイクル」と呼ばれています。

ということで、正解は②4サイクルガソリンエンジンを発明した。でした。
さて、この4サイクルエンジンをもとに、その後オットーはどのような発明を生み出していったのでしょうか。

1864年、オットーはドイツのケルンで内燃機関製造会社「N.A.オットー」をオイゲン・ランゲンと共に立ち上げます。(この会社は現在でも「ドイツAG」という名称で、世界最古の内燃機関製造会社として存続しています。)

そして1867年、N.A.オットーは創業して間もないにも関わらず、第二回パリ万国博覧会に「大気気体出力機械」を出展し、「小企業による経済的な推進機械」と評価を受け、なんと金賞を受賞。

ちなみに、この第二回パリ万博は、日本が初めて参加した国際博覧会でもあり、大政が奉還されたまさにその年。当時の西欧列強の技術力の高さに、当時の日本人がどれほど驚いたことでしょう。

その後、N.A.オットーにゴットリープ・ダイムラー(後にメルセデス・ベンツのルーツとなる会社を創業)とヴィルヘルム・マイバッハ(後に自らの名を冠した超高級大型車を生産)が加わり、「オットー・サイクル」内燃機関の概念を作り上げ、1876年に論文が完成します。

1884年には、それまで燃料として使用していた石炭ガスをやめ、再度設計を革新。低圧電磁点火装置を導入することで液体燃料を使用可能にしました。この燃料の変更により、小型化や移動するモノへの搭載が可能となったのです。
そして1886年頃には、オットーの製造する内燃機関が広く使われるようになりました。

オットーは1891年1月26日にケルンで死去しましたが、技術革新が盛んな今日においても「オットーサイクル」の内燃機関は自動車、オートバイ、モーターボートなどに最もよく使われています。

それでは、その他の選択肢についても確認していきましょう。

①蒸気自動車を発明した。

蒸気自動車は、1769年にフランスの軍事技術者、ニコラ=ジョゼフ・キュニョーによって発明されたと言われています。意外なことに、その歴史は蒸気機関車や蒸気船よりも古いそうです。

③T型フォードで大量生産を実現した。

T型フォードで大量生産を実現したのは、1903年に自動車会社フォード・モーター社を設立したヘンリー・フォードでした。このT型フォードは、1908年に発売され、1927年までモデルチェンジのないまま約1,500万台が生産されたそう。今では考えられない販売台数ですね。

④パリ万博に電気自動車を出展した。

パリ万博にニコラウス・オットーが出展したのは電気自動車ではなく、大気気体出力機械でした。
そして、パリ万博に電気自動車を出展した発明家とは、あのスポーツカーの代名詞「ポルシェ」を後に生み出すことになる若かりし頃のフェルディナント・ポルシェ博士。1900年のパリ万博当時は、なんと25歳という若さだったそうです。

クルマの歴史を切り拓いた偉人

ニコラウス・オットーが発明した4サイクルガソリンエンジンは、社会や人々の暮らしを支える技術として、今日まで約150年にわたり使われ続けてきました。

時代は電気自動車から自動運転へ、技術は日々発展を遂げていますが、クルマの歴史を切り拓いた先人の偉大さは、はかりしれないものです。

text by マサユキ