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【豆知識】カローラ生誕50周年! 初代モデルはどんなクルマだった?

7月11日、トヨタはカローラ・アクシオにカローラの生誕50周年を記念した特別仕様車 「HYBRID G 50 Limited(ゴーマル リミテッド)」を発売しました。

この「50 Limited」は、カローラ・アクシオの最上級グレード「ハイブリッドG」に、1966年に誕生した初代カローラの特徴である赤いシートと花冠のエンブレムを特別装備したもの。

合成皮革製となるシートの色は、トヨタのデザイン部で保管されていた初代カローラのカラーサンプルを元に再現したものだという、力の入った特別仕様車です。

では、今から50年前に生まれた初代カローラは、どんなクルマだったのでしょうか?

今回は初代カローラにクローズアップしてみました。

「プラス100ccの余裕」と若々しいスタイリングで大ヒット

若い人の中には「カローラ」の名前を聞いてもピンとこない人も多いでしょう。しかしカローラは、1966年に初代モデルが登場するや大ヒット。1969年に日本国内の年間販売台数1位になると、2002年にホンダ・フィットに抜かれるまでの33年間、トップセラーの座を守り続けたビッグネームなのです。

1966年に登場した初代モデル(KE10型)は、トヨタ初の大衆車として登場した「パブリカ」の上級車種としてデビューしました。「プラス100ccの余裕」という言葉を聞いたことがある人もいるかもれしません。これは、ライバルである「日産・サニー」よりも100cc大きなエンジンを搭載した、カローラの広告に使われた文言だったのです。カローラの開発チームは、ライバルである日産が1000ccの乗用車を開発していることを知り、開発途中で急遽1100ccに拡大したのだとか。なお、デビュー当時の価格は43万2000円からでした。

2ドアセダンとして登場した当時のカローラは、現在のイメージとは違って、スポーティで若々しいもの。1960年代は「自家用車」の普及が急速に進んでいた時期で、カローラはすぐに大ヒットを飛ばし、発売から2年5カ月で生産台数50万台>を達成します。カローラが生まれた1966年は、のちに「マイカー元年」と言われるようになりました。

当時としては画期的でスポーティなメカニズムを採用

メカニズムの面では、パブリカが空冷の2気筒エンジンを搭載していたのに対し、カローラは水冷4気筒を搭載。コラムシフトが当たり前だった当時、4速のフロアシフトMTを採用し、スポーティな性格を与えていました。

今、FF車の主流となっているフロントサスペンション形式、「マクファーソンストラット」を国産乗用車で初めて採用したクルマでもあります。クラウンにも搭載されていた2速AT「トヨグライド」も、あとから追加されました。

あとから追加されたと言えば、兄弟車である「スプリンター」が追加されたのも初代モデルのとき。カローラが独立したトランクを持つセダンなのに対して、ハッチバックボディで登場しました。以後、2000年に9代目カローラが登場するまで、スプリンターは兄弟車としてカローラとともに日本の大衆車市場を支えていきます。

ちなみに、よく「トヨタは80点主義だ」と言われますが、これは正確には誤り。本当は、初代カローラの開発指揮を執った長谷川龍雄氏の思想、「80点主義+α(アルファ)」に由来します。「すべてにおいて及第点をクリアし、それ以上の+アルファを提供しよう」と開発したと言われているものです。

さまざまな派生車種を生み出し現行モデルで11代目!

その後、カローラは1970年にモデルチェンジ。以後、ほぼ4年周期でモデルチェンジを行い、レビン/トレノ、カリブ、FX、シエロ、セレス/マリノ、スパシオ、ランクス/アレックス、ルミオン、フィールダーなど、さまざまな派生車種を生み出しながら、11代目となる現在のカローラ・アクシオへと続いています。

セダンの主役はプリウスに取って代わられましたが、カローラが歩んできた歴史は非常に大きなもの。今までカローラを意識したことがない人も、この機会に注目してみてはいかがでしょうか?

text by 木谷宗義/Bucket