日曜朝の静寂の中、マンションの壁に排気音を反響させながら1台のチンクエチェント(フィアットNUOVA 500)が近づいてきた。その元気なサウンドと可愛らしいルックスのギャップがこの時代のクルマの特長でもあろう。待ち合わせに設定したマンション街は建築当時、福岡でも話題になったデザイナーズマンションのハシリだったエリアだ。鈍色のチンクから「おはようございます!」と、さわやかなご夫婦が降りてきた。
国産車一辺倒だったころからは考えられないチョイス
「現行のアバルト500も所有していますが、今日は古い方できました」と、新旧2台の“チンク”を所有しているとのこと。さぞかし、外車を乗り継いできたマニアックなご夫婦なのかと思いきや。
「いえ、そうじゃないんです。むしろ逆で。国産車サイコー、輸入車なんてコワくて乗れないって感じでした。でも国産SUVでは台数の少ないMT車両を選んだりしていたので、クルマに興味がないわけではなかったんです。むしろ好きな方だけど国産の方が安心みたいな」
もともとクルマ自体に愛情をかけられるタイプだった。やはりこうした趣味性の強い輸入車、特にヒストリックカーとくれば、特殊な環境をとりまく「人」との出会いの要素が強くなる。
写真:富永さん
2013年にあるきっかけでフィアットディーラーに行った際、今に繋がることとなる出会いがあった。登場したばかりのアバルト500、しかもカタログ設定のないブラックがショールームに置いてあり「これは希少だし、この場でハンコを押して帰りたくなったんです」といても立ってもいられなくなったのだと言う。数ヶ月後、アバルト500は無事納車された。
「それから、イタ車の知り合いが増えましたね。それまでの国産車では考えられないほどに。マニアックな世界というのは想像つきましたが、ショップさんやオーナーさんとの繋がりができました」
世界にドップリ浸かったところに新たなダメ押し
富永さんが勤務している会社にはクルマが趣味の同僚がほとんどおらず、アバルトを指して「軽自動車みたいに小さいですね」という感想しか帰ってこなかったと言う。
ちなみに奥様の典子さんは、運転免許を所持しておらずナビシートが指定席。しかし、車への愛着は宏さんよりも熱いほど。そして2016年、現行アバルトにもすっかり慣れて馴染みのショップに行くと、1台の1964年式「NUOVA 500」と出会う。
宏さん曰く「私たちは、普通の勤め人ですし、こんな趣味性の強いクルマを2台も持つなんて考えられませんでした。でも彼女の『大丈夫じゃない? 私名義で買う』という後押しで購入を決意しました」
そうして免許を持っていない典子さんがNUOVA 500オーナーとなった。「勝手には触らせてくれません。ステッカーの位置などすべて妻の指定なんです。毎回、乗る前に本人から『よし』とキーを手渡されます」と宏さん。週末のおでかけには夫婦間における“儀式”が必要となる。
人間の体調のように乗るたび発見があるのがヒストリックカー
撮影日は、春の陽射しが強くエアコンが必要なほどの陽気だったが、三角窓をグイッと開けて、ガラスの面が自分から見て直角に調整。するとスピードに応じた風が吹き込んできて気持ちが良い。
週末は九州各地を日帰りツーリングすることが多く、このNUOVA 500でどこへでも行く。詳細不明ながら650ccほどにスープアップ(ノーマルは479cc)されたエンジン、待ち合わせにやってきた時の元気なサウンドの秘密はコレだった。気候によってダイレクトに変わるエンジンの機嫌を夫婦で確認しながらのお出かけが、日常に彩りを与えていることがよくわかる。
二人共、それぞれ福岡市内で飲食系の仕事に従事しているという。二人の出会いは、双方が努めていた喫茶店「ブラジレイロ」という福岡では老舗中の老舗。典子さんは、今もブラジレイロに勤務しており、平日限定1日15食(!)というミンチカツレツが食通を唸らせている。宏さんは福岡県内で明太フランスといえばココが発祥という「フルフル」という有名ベーカリーのマネージャーを務めている。
そんな二人は、お気に入りの飲食店をフィアットで巡るライフワークも持っている。取材後、「美味しいハンバーグのお店があるんですが、行きましょうよ!」と誘われ、恐縮しつつ同席させていただいた。福岡空港近くの志免町(しめまち)にある「家鴨軒 ahiruken」までドライブ。
到着すると、インスタ映えしそうなかわいい内外観のカフェといった雰囲気で、建物の裏には納屋に収まったミントグリーンのフィアットが出迎えてくれた。こうして楽しい仲間が増えていく富永夫婦、SNSは典子さんが担当し仲間との連絡を、クルマの運転と整備は宏さんという役割分担が自然とできている。そんな二人の結婚10周年を記念する撮影取材だった。
text & photo by 赤坂太一,edit by 木谷宗義
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