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【豆知識】ハコスカ、スカイライン「GT-R伝説」の始まり

01日産・GT-Rといえば日本を代表するスポーツカーのひとつ。7月27日には、細部をさらに熟成させた2017年モデルが発売され、話題となっています。
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このGT-Rは、もともと日産・スカイラインのハイパフォーマンスグレード、「スカイライン GT-R」だったことをご存知の方も多いでしょう。このスカイライン GT-Rを、日本を代表するスポーツカーに押し上げたのは、1969年に登場したスカイライン GT-R、通称“ハコスカ GT-R”の存在でした。クルマ好き、スポーツカー好きであれば一度はその名を必ず耳にする名車中の名車です。

GT-Rを生み出したきっかけの第2回日本グランプリ

GT-Rが生まれた背景は、1964年に開催された、第2回日本グランプリでの2代目スカイライン「GT」の活躍でした。

海外からの刺客として圧倒的な強さを誇ったポルシェ・904に対して、国産車勢で唯一デッドヒートを繰り広げ、一時は904を抜いてトップを走り、「かなうはずのない一流のスポーツカーの前を国産車が走った」と大勢の観客を沸かせたのです。

904を抑えたのはわずか1周のみで、結果優勝も逃してしまったものの、ポルシェの前を走ったことは、当時のレースファンやクルマ好きに大きな衝撃を与えてくれました。その姿と活躍から「羊の皮を着た狼」と呼ばれたことも。
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日産・スカイライン2000GT(S54B-2型、1965年)

第2回日本グランプリが開催された翌1965年に、2.0リッター直列6気筒OHCエンジンを搭載したスカイライン・2000GTが発売。人気車種となりました。この2000GTの誕生と、ポルシェに対する雪辱が、のちのGT-Rの誕生につながります。

誰も追いつけないハコスカGT-Rの金字塔

スカイラインは2代目まではプリンス自動車によるモデルでしたが、1966年にプリンス自動車と日産自動車が合併し、1968年に登場した3代目(通称:ハコスカ)からは、日産・スカイラインとなりました。初代GT-Rはこの翌年の1969年に登場します。

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日産・スカイライン2000GT-R(PGC10型、1969年)

ベーシックモデルが最高出力88psの1.5リッター直列4気筒エンジンを搭載しているのに対し、レースでの勝利を収めるために設定されたGT-Rには、第2回日本グランプリのポルシェへの雪辱を晴らすべく開発されたレーシングマシン、「日産・R380」に搭載されていた2.0リッターの直列6気筒DOHCエンジンの改良版「S20型エンジン」を採用。最高出力は160psを誇り、0-400m加速は16.1秒と、当時最強の性能を叩き出しました。

このエンジンを積んだGT-Rは、鉄壁の速さを見せつけ、登場した3ヶ月後の5月3日に開催されたJAFグランプリのデビューウィンをきっかけに、次々と勝利を重ねていきます。

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日産・スカイライン2000GT-R(1969JAFグランプリ優勝車仕様)

1970年の改良で2ドアハードトップ化され、ホイールベースが2640mmから2570mmに短縮されたため、約1100kgの軽量な車体とも相まって旋回性能に磨きがかかり、さらに戦闘力が向上。S20エンジンも最終的には250psの最高出力を絞り出すまでに熟成が進み、1972年までに通算52勝を飾るという不滅の金字塔を打ち立てました。

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日産・スカイライン2ドア HT2000GT-R(KPGC10型、1972年)

このことから、スカイライン GT-Rは日本最高峰のスポーツカーとして認知され、その記録を作ったハコスカGT-Rは、現代にも続く名車となっているのです。

ハコスカGT-R以来続く「R」のスピリット

1972年、スカイラインは4代目へと進化し、GT-Rも2代目となりました。ボディスタイルは、まさに“ハコ”と形容される先代とは打って変わってスポーティな2ドアクーペになり、通称“ケンメリ”として、現代に語り継がれています。ちなみに現在のGT-Rの伝統の一つとなっている丸目のテールランプは、このケンメリがきっかけとなっています。

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日産・スカイライン2000GT-R(PGC110型、1973年)

ハコスカ同様に、日本のレースシーンを牽引するモデルとして期待されましたが、なんと日産のワークスチームはレースからの撤退を決定し、さらに排ガス規制もあってケンメリ GT-Rはわずか197台のみの生産で終了してしまいました。その後しばらく、GT-Rの名は復活することがなく、「R」のエンブレムは伝説のものとなります。

そして吉報は1989年のことでした。ケンメリ以来約16年ぶりに「R」の冠が与えられたR32型スカイライン GT-Rが誕生しました。誕生の経緯はもちろんレースでの勝利。280psを発生する2.6リッター直列6気筒ターボのRB26DETTエンジン+4WDの組み合わせは他車を寄せ付けず、1990年のJTCグループAでは現在も伝説として語られる29戦29勝の不敗神話を築きあげるのです。

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日産・スカイラインGT-R(BNR32型、1989年)

その後GT-Rは、日産を代表するスポーツカーとして、R33型、R34型と進化を続け、2007年からはスカイラインから独立を果たしたR35型 GT-Rとして世界のモータースポーツシーンで活躍を見せています。

デビューから47年もの間、記憶に生き続け、現在も躍進を続ける「R」のエンブレムには、開発者を始め勝利を見つめたレーシングドライバー、そして夢を追うオーナーのさまざまな思いが込められているのです。

問題

歴代の「日産 スカイラインGT-R」のうち、排ガス規制の強化によってわずか4ヶ月しか生産されなかったモデルは、次のうちどれですか。

(1)5代目(R34型)
(2)初代(C10型)
(3)2代目(C110型)
(4)3代目(R32型)

<関連リンク>
昔の国産スポーツカーがみんな「280馬力」だったワケとは?
https://car-days.fun/blog/article/1065

text by 阿部哲也+Bucket
写真提供:日産自動車、日産ヘリテージコレクション