【1990年代の自動車①】経済の低迷に伴ってコストダウンが命題に
『ここをチェック』
★好景気だった’80年代後半に設計された贅沢なクルマが多い
★各メーカー生き残りを懸けてコストダウンに挑んだ時代
★いよいよハイブリッド車が現実的な選択肢に
経済の低迷に伴ってコストダウンが命題に
好景気の波に乗った1980年代後半からの日本車の躍進には目を見張るものがあった。そして1990年代に入ってもそれは変わらず、数々の高性能車、高級車が矢継ぎ早に世界に向けて発売された。
迎え撃つ欧米勢もこの時代は同様に高性能化が進んだが、それと同時に各メーカーは独自のアイデンティティを追求。つまりそのブランドの「らしさ」を武器に、台頭する日本車勢に対抗しようとした。
例えばポルシェはMTのように任意のギアを選択できるスポーティなAT(※①)「ティプトロニック」を開発し、メルセデス・ベンツは質と量の両面で他を圧倒したSクラスを投入。アメリカではSUVやピックアップトラックが大流行し、その広大な国土をイメージさせるモデルが続々と登場した。
補足情報
①スポーティなAT
ATの通常のゲートから横にレバーを動かすとマニュアルモードになり、そこから前後に動かすことでギアチェンジできるタイプのAT。ポルシェではティプトロニックと呼ぶ。MTのように運転できることから人気になり、多くのメーカーが似たようなシステムを搭載した。
フルアルミボディが量産車に導入され始めたのも’90年代前半のことだ。アルミという素材は軽いゆえ運動性能にも燃費性能にも有利で、かつリサイクルにも向いているため、新世代の素材として注目を集めた。しかしコストの問題から、フルアルミボディはNSXなど高額なモデルにしか採用されなかった。
’91年1月の湾岸戦争勃発や、同年2月の日本におけるバブル景気崩壊もあり、1990年代中盤には自動車はコストダウンを強いられることになる。もちろん日本車以外も価格的な競争力を高めるため、コスト管理(※②)はそれまで以上に必須となっていた。
補足情報
②コスト管理
’90年代半ば以降コスト管理は徹底され、過剰品質といわれたメルセデス・ベンツでさえもシートベルトアンカーを簡素なものに代えるなどする。ポルシェも例外ではなく、3代目911では後期型の丸みを帯びたドアミラーが人気だが、この変更も実はコストダウンの一環だ
再び実用的で経済性の高いモデルが世界中で望まれるようになり、結果としてコンパクトカーや直噴エンジン搭載車の登場(※③)が相次いだ。そんななか1997年12月、世界初の量産ハイブリッド車、トヨタ・プリウスの初代モデルがデビューし、21世紀を迎えることになる。
補足情報
直噴エンジンの登場
直噴エンジンを最初に採用した自動車は’50年代のメルセデス・ベンツ300SLだが、当時の技術では無理がありメンテナンスに難があった。それを実用化したのが三菱のGDIだった。
■’90年代初頭は高級車、高性能車が続々と登場。スバルも高級クーペのアルシオーネSVXを発売した
参考情報 ここもチェック!
空前のF1ブーム到来で少年誌までスポンサーに
1990年から1992年にかけて日本は空前のF1ブームを迎えていた。鈴鹿サーキットでの日本グランプリがゴールデンタイムに放送されるなど、地上派での中継がない現在からは信じられないほどの人気ぶりだったのだ。
多くの日本企業がスポンサーとなり、マクラーレン・ホンダのマシンには週刊少年ジャンプ(集英社)のロゴマークが貼られていたこともある。
そんなF1人気の中心だったのがアイルトン・セナだ。バラエティ番組を含め、さまざな日本のメディアに登場したセナだが、もちろんホンダのCMにも出演していた。4代目プレリュードを軽やかに運転し、最後に「Just moveit!」のひと言で締める構成。日本中のセナファンの目を釘づけにしたテレビCMであった。
名スポーツエンジン列伝/「13B型」(マツダ、ロータリー) 歴代のRX-7への搭載が特に有名な2ローターのロータリーエンジン(レシプロエンジンの2ℓ相当)。RX-7時代はターボ(輸出仕様にはNAもあり)、RX-8ではNA化され時代に対応した