【PSA①】プジョーもシトロエンも別の産業からの参入

『ここをチェック』
★プジョーは19世紀のうちに自動車産業に進出
★特殊な歯車の製造から自動車に移行したシトロエン
★2017年にGMからオペルブランドを買収


プジョーもシトロエンも別の産業からの参入

もともと農家だったプジョー家は粉挽き(※①)や織物、染物、搾油機、穀物製粉機などの工業に進出。1898年、アルマン・プジョーの手により同社初のクルマとなる蒸気三輪車セルポレ・プジョーを発表。1890年には蒸気機関をやめ、ダイムラー製のガソリンエンジンを搭載したプジョーブランド初のタイプ2を発売。1891年には会社名をそれまでの「プジョー兄弟社」から「プジョー兄弟の息子達の会社」に変更した。1900年には、プジョーの生産台数は、年間500台に達し、創業以来の累積で1296台を達成した。

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①粉挽き

さまざまな製品を作ってきたプジョーだが、粉挽きは今もその技術が生かされた商品が現在も発売されている。それはコショウを挽くためのペッパーミルやコーヒー豆を挽くためのコーヒーミル。歯の当たりを正確に行うには、きめ細かい加工が必要。プジョーのミルはプロも認める一級品として知られている。そしてこのミルを輸入しているのが、フェラーリの販売なども行っているコーンズ・アンド・カンパニー・リミテッドというのもおもしろい。

第一次世界大戦では戦車や飛行機のエンジン、砲弾、爆弾の製造なども行った。第二次世界大戦では1940年にソショー工場をドイツ軍が占領。1943年にはイギリス空軍により爆撃されるなどした。
一方のシトロエンはアンドレ・シトロエンが鋭角な山形に切り込まれた特殊な歯車「ダブルヘリカルギア(※②)」の製造で成功した資金をもとに1919年に創業。同年にタイプA/10CVというモデルを世に送り出した。

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ダブルシェブロンと呼ばれるシトロエンのエンブレムだが、そのモチーフはアンドレ・シトロエンが財を成したダブルヘリカルギアをデザイン化したもの。何度かデザインを変更しているが、シルエットは生まれたときからずっとダブルヘリカルギアのモチーフが使われている。

アンドレは、「クルマはあくまで一般大衆のための便利な道具であり、クルマがあることで多くの人々の生活はより豊かなものとなる」との考えのもと、ヨーロッパ初の大量生産システムを導入。低価格で高品質なクルマの供給を実現した。
名車2CVは第二次世界大戦中に開発がスタート。ドイツにその技術を盗まれないように試作車の多くは破壊されたが、開発陣は戦後の必要性を感じ、開発は秘密裏に進められた。
現在、プジョーとシトロエンはPSAとして1つのグループとなっている。
2019年に状況は急転する。フランスを代表する3つのブランド(プジョー、シトロン、DS)を有するPSAが、イタリア&アメリカブランドであるFCAと対等合併することが発表されたのだ。
この対等合併に対し、EUの欧州委員会は独占禁止法違反に当たるかなどの調査を始めたが、新型コロナウイルスのまん延による影響などで調査は一時停止。そうしたなか2020年7月には新グループの名称が「ステランティス」に決まったと発表。さまざまな手続きが終了し「ステランティス」となるのは、2021年の第一四半期が予定されている。


現在のPSAのCEOはカルロス・タバレス氏。前職はライバル、ルノーのCOOだ

参考情報 ここもチェック!

21世紀になって生まれた新しいブランド「DS」

DSと言えばかつてのシトロエンブランドを代表する名車。その独特なデザインは、多くのファンを獲得するとともに著名なカーデザイナーに大きな影響を与えたクルマだ。
1959年に生まれたDSはその歴史を一度閉じるが、21世紀になってDS3、DS4、DS5という新しいクルマを発表した。
当初はシトロエンブランドのなかでのDSというシリーズ名であったが、2014年にDSはブランドとして独立した。つまりPSAグループには、プジョー、シトロエン、DSという3つのブランドが存在することになり、2015年の東京モーターショーもそれぞれ独立したブースを作り、展示を行っていた。

世界的にはディーラーについてもDSを独立させる方向にある。現在、日本では2018年11月に東京・港区に「DS STORE東京」がオープンした


クルマ豆知識
例題/次のうち2018年末時点で日本で発売されていなかった国産メーカーの車は?
①CR-V ②RAV4 ③インサイト ④CX-5(正解=②)


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