【ジャガー&ランドローバー②】戦後から’80年代前半までの代表モデルは?・ ’80年代後半から現在までの代表モデルは?

戦後から’80年代前半までの代表モデルは?

1948年に流麗なボディを持つ2シータースポーツのXK120、1950年には重厚で高級感あふれる4ドアセダンのマークⅦ、1955年にはマークⅦのシルエットを残した小型セダンのジャガー2・4が投入される。
1959年までにジャガーはCタイプ、Dタイプというネーミングのレーシングカーを販売。それを受けて1961年にはロードモデルのスポーツカーであるEタイプを発表する。
さらに1968年には、ヒットモデルとなるサルーンのXJ6が登場。1975年にはスポーツカーのXJ-Sが誕生する。
1960年、ジャガーはデイムラーの親会社となる。デイムラーオリジナルのモデルは徐々に姿を消し、ジャガーにデイムラーのエンブレムを装着したモデルが、デイムラーとして販売されていた。
ランドローバーはローバー社が同社の乗用車用をベースに1948年に作りあげたシリーズⅠが最初の1台。右ページに書いたようにランドローバーは当初は会社名ではなく、車名であった。ランドローバーはシリーズⅡ、シリーズⅢまで進化。その後、1970年にレンジローバーが登場する。この初代レンジローバーは1996年まで生産された。


1938年型のSSジャガー。当時としては廉価で高性能だったというから驚きである


1973年のXJ6。ドッシリと落ち着いたデザインと、嫌味のないメッキパーツが美しい


1961年型タイプE。タイプEには写真のロードスターのほかにクーペも用意された


基本コンポーネンツを乗用車と共用するシリーズ1。写真はレストアが施されたモデル


今は豪華なSUVとして知られるレンジローバーも初代はシンプルな仕様も用意された

’80年代後半から現在までの代表モデルは?

1975年に経営不振からいったん国営化されたジャガーだが1984年には再び民営化。1989年にフォードに買収されると、フォード系コンポーネンツを使用したSタイプ(1999年)、などが登場。2007年にはXFを追加。
フォードからタタに親会社が変わった後、ジャガーは〝らしさ〟を復活させる。2014年にはXE、2011年にはEタイプの後継となるFタイプを発表。2016年にはジャガー初のSUV、Fペイスが登場。2018年にはピュアEVとなるiペイスが欧州で発売された。
ランドローバーは1983年にディフェンダー、89年にディスカバリー、96年に2代目レンジローバー、97年にフリーランダーを投入。20世紀末はランドローバー社にとって多くの新型車を発表する時期となった。 
21世紀に入り、2003年には3代目レンジローバー、05年にレンジローバースポーツ、11年にはレンジローバーイヴォーク、15年にディスカバリースポーツを追加している。さらに17年には5代目となるディスカバリーに続いて、レンジローバの新しいモデル「ヴェラール」を追加した。


ジャガー初のコンパクトSUVとなるEペイス。ジャガーユーザーの裾野を広げる立役者


ジャガー初のピュアEVはSUVのiペイス。日本での発売も開始され注目度が高まっている


イヴォークとスポーツの間を埋める形となる新型のレンジローバー・ヴェラール


レンジローバーの裾野を広げることに成功したイヴォークも2代目に。マイルドHVを搭載

参考情報 ここもチェック!

ル・マン24時間で活躍したジャガー

ジャガーは1950年にル・マン24時間レースに初参戦。翌51年にXK120C(Cタイプ)でふたたびル・マン24時間に参戦したジャガーは初優勝を果たす。1953年にはダンロップと共同開発したディスクブレーキを搭載したCタイプを投入。1位、2位、4位に入賞した。1950年代、ジャガーは5回ものル・マン優勝を果たす。ジャガーがふたたびル・マンで優勝するのは1988年のこと。ヤン・ラマース、ジョニー・ダンフリーズ、アンディ・ウォレスの3名のドライブしたプロトタイプカーのXJR-9は24時間で5300㎞を超える距離を走り切った。
その後ジャガーは、2000年にF1に参戦。2016-2017シーズンからはフォーミュラEへの参戦も発表されている。

シルクカットジャガーの名前で知られたXJR-9。1990年にコース改修を受けるまでル・マンには約6㎞のストレート「ユノディエール」が存在した


クルマ豆知識
例題/次のうち年間販売台数日本一を達成したことがない車種は?
①アクア ②プリウス ③フィット ④ヴィッツ(正解=④)


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