【SUBARU②】富士重工の往年の名車は?・ ’90年代から現在までの代表的モデルは?

富士重工の往年の名車は?

富士重工業初の市販車となったスバル360は、RRレイアウトを採用することで、量産軽自動車としては初めて「大人4人の乗車」を可能としたのが大きな特徴。高い実用性に加え、車両価格そのものが安かったこともあり、多くのユーザーから絶大な支持を受け40万台近くが生産されるヒット作となった。また今現在も「てんとう虫」のニックネームで愛され続けているのがスバル360という、ある種の名車である。
富士重工製の小型車としては、1966年発売のスバル1000がその第1号であった。FFレイアウトに水平対向エンジンという現代のスバルの礎を作ったモデルだ。
スバル1000の後継であるff-1に代わって1971年に登場したのがレオーネ。いわゆるジープタイプではない量産4WDはこのクルマが世界初で、まず1972年にエステートバンに、1975年にセダンに4WDグレードが設定された。ちなみに、4WDとターボの組み合わせは2代目レオーネからの伝統だ。鋭角的なスタイリングのアルシオーネは1985年のデビュー。歴代のスバル車のなかで唯一のリトラクタブルライト仕様車である。1987年よりスバル初の6気筒エンジンが搭載された。

1958年から1970年まで約39万台が生産された軽自動車、スバル360。量産軽自動車としては初の4名乗車を実現

初代レオーネの登場は1971年。現在のレガシィやインプレッサが登場する前の基幹車種だ

1966年、初の小型車として発売されたスバル1000。FF+水平対向という意欲的な構造だった

アルシオーネは1985年登場のパーソナルクーペ。意欲作として注目された

レックスは、R-2の後継として1972年に登場した軽自動車。20年以上にわたり販売された

’90年代から現在までの代表的モデルは?

’80年代、経営不振にあえいだ富士重工を救ったのが、1989年に登場したレガシィだ。伝統の水平対向エンジンに4WD、レオーネ時代から得意としていたステーションワゴンの設定、そしてクリーンでシンプルなスタイリングが時代の要請とマッチし、スバル久々のヒットとなった。
好調となったスバルは1991年には高級クーペのアルシオーネSVXを、翌年には今も続く人気のブランドであるインプレッサを登場させる。
ほどよいサイズのセダン&ワゴンということで、このインプレッサも大きな人気を博した。4WDターボのスポーティなWRXグレードは、世界ラリー選手権への参戦もあって、スバルのイメージリーダーの役目を果たした。
近年はモデルチェンジしたレガシィ&インプレッサの派生車種(XVなど)を投入するいっぽう、トヨタと共同でFRレイアウトのスポーツカーも開発。BRZと名付けられたそれは、2012年に発売された。トヨタ86とは外観に少々の差があるだけでなく、足回りにおいても、いかにもスバルらしい差別化が図られている。

レガシィにクロスカントリー要素を盛り込んだアウトバック。根強い人気を誇るモデル

2018年6月にフルモデルチェンジされたフォレスター。顔認証などの先端技術も採用される

2012年、富士重工がトヨタと共同開発して発売した小型FRスポーツ、BRZ。トヨタ86とは兄弟車

レガシィツーリングワゴンの後継モデルとして2014年にデビューしたレヴォーグ

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世界ラリー選手権でのインプレッサの活躍

スバルがWRC(世界ラリー選手権)に参戦したのは1990年シーズンからのこと。WRCと言えばインプレッサのイメージが強いスバルだが、実は初期はレガシィでの参戦だった。インプレッサが投入されたのは1993年の第9戦からだ。
並み居る強豪を相手に1994年の第6戦「アクロポリス・ラリー」で初優勝を飾ると、1995年から1997年まで3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得。ドライバーズタイトルは1995年のコリン・マクレー、2001年のリチャード・バーンズ、2003年のペター・ソルベルグと三度制している。
WRCでは強いスバルを印象付けたが、世界金融危機の余波を受け、2008年をもってWRCでのワークス活動は残念ながら終了している。

インプレッサ初のグループAマシン「インプレッサ555」は1993年、初参戦にして2位という鮮烈なデビューを飾る。以降、2008年まで歴代インプレッサは戦った


クルマ豆知識
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