【ダイハツ工業①】トヨタの完全子会社としてコンパクトを担当

『ここをチェック』
★2016年、株式交換によってトヨタの完全子会社となった
★軽自動車販売台数No.1の座をライバルのスズキとつねに競いあう
★1967年に電気自動車を開発するなど先進的な気風も強い


トヨタの完全子会社としてコンパクトを担当

ダイハツの歴史は古く、1907年に発動機製造株式会社として設立されたのが始まり。その年には国産初の6馬力吸入ガス発動機を製作し、1930年に自社製エンジンを搭載した三輪自動車のHA型を発売し自動車市場に参入した。
四輪車は1937年にFA型を発売しているが、本格的に移行したのは1960年代に入ってからとなる。
1951年にダイハツ工業に改称した同社は、まず1957年にミゼット(※①)を登場させ軽三輪に、1963年にはコンパーノを発売し、乗用車の分野に進出を果たしている。

補足情報

①ミゼット

ダイハツ工業が1957年から1972年まで製造販売していた三輪自動車(オート三輪)。初期型は円形のハンドルではなくオートバイのようなバーハンドルだった。’70年代になり、軽自動車の分野でも主流は3輪のミゼットから4輪のハイゼットに移行し、1972年に生産終了となった。


保守的なイメージもあるダイハツだが、先進技術への意欲もじつはかなり旺盛と言える。その一例が電気自動車で、1965年に早くも研究に着手し、1967年には開発にまで至っている。また、モータースポーツへの参戦にも熱心であったり、昨今は生産工場のエコ化に注力している。
ダイハツとトヨタの関係は濃密で、2016年にはついにダイハツはトヨタの完全子会社となることが発表された。原稿執筆時の5月末現在、トヨタはダイハツ株の51・2%を所有しているが、このトヨタ所有株以外のすべての株がトヨタ株に交換され、ダイハツ株は上場廃止。トヨタの完全子会社となった。
ホンダや、日産・三菱の連合がニューモデルを投入し、にわかに超激戦区(※②)となった感のある軽自動車マーケット。トヨタの完全子会社となったダイハツは長きにわたって培ってきた伝統的なテクノロジーを極め、王者としてライバルを迎え撃つ姿勢。今後の動向からは目を離せない状況となった。

補足情報

②超激戦区

2016年のブランド別軽自動車販売台数は、ダイハツが60万8772で前年比95.3%と前年割れ。占拠率は33.6%でダイハツがトップを維持するが、スズキが30.2%と迫っている。だが2016年12月の販売台数の前年同月比ではダイハツとマツダだけが、100%割れと決して安泰ではない。



ダイハツの100周年記念館のヒューモビリィワールド。2015年1月にリニューアルオープンした

参考情報 ここもチェック!

軽自動車に多いOEM供給の状況は?

ダイハツとトヨタは互いにOEM供給を行ない、開発費の削減とラインアップ補完の両面からメリットを享受し合ってきている。
古くはトヨタ・パブリカのOEM版であったコンソルテがあり、近年ではアルティス(カムリ)、メビウス(プリウスα)などが存在する。ビーゴは逆にトヨタへOEM供給し、ラッシュとして販売されてた。また、ブーン(パッソ)、など共同開発のモデルも存在する。
密接な関係を保つダイハツとトヨタだが、軽自動車だけはダイハツの専売としてきた。が、2010年についにその不文律を破ることが発表され、2011年から軽自動車を中心にOEM供給することに。現在軽自動車と登録車を合わせて、トヨタに向けては、ピクシスメガ(ウェイク)やピクシスエポック(ミライース)など8車種、スバルに向けてディアスワゴン、ステアなど6車種がOEM供給されている。

トヨタの軽自動車「ピクシス エポック」は、ダイハツ・ミライースのOEM版。スバルブランドでは「プレオ」の車名で販売されている


クルマ豆知識
例題/シビックタイプRとスイフトスポーツが純正採用したタイヤメーカーは?
① ピレリ ②コンチネンタル ③ミシュラン ④ハンコック(正解=②)


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