【スーパーGT①】複数ドライバーで戦うセミ耐久
『ここをチェック』
★かつては全日本GT選手権と呼ばれた
★独自のルールで盛り上がるGTカーのトップカテゴリー
★海外開催も行われる人気のレース
複数ドライバーで戦うセミ耐久
1990年代初頭、日本の自動車レース界では2つの人気シリーズが閉幕した。1つは1992年で終了したグループCカーでの全日本スポーツプロトカー選手権(JSPC)(※①)、もう1つは1993年で終了したグループAカーでの全日本ツーリングカー選手権(JTC)(※②)である。
補足情報
①全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)
スポーツプロトタイプカー、いわゆるCカーと呼ばれたレース専用車(プロトタイプなので本来は市販を前提にしたクルマとなるが)で行われた耐久レース。現在のWECマシンに近いスタイリングを持っている
②全日本ツーリングカー選手権(JTC)
市販車ベースのツーリングカーで戦われたセミ耐久レース。出場車両はグループAと言われるモデルで、一定台数が市販されることが条件であった。このため自動車メーカーは、ポテンシャルを高めたホモロゲーションモデルを設定。限定モデルということでクルマ好きが殺到した。
全日本ツーリングカー選手権はJTCCとなりシリーズを存続させるが、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権は事実上の消滅。そして新しいシリーズとして1993年に始まったのが全日本GT選手権レースである。とはいえレースに使われたマシンはJTCに近い仕様であり、レース内容も同様に近いものだった。この全日本GT選手権レースは1993年の1年間で終了。翌1994年から全日本GT選手権(JGTC)として新シリーズがスタートする。これがスーパーGTのルーツである。
全日本GT選手権は海外進出というそれまで日本のレース界にはなかったことにチャレンジし始める。2000年、2001年にはマレーシアのセパンサーキットでオールスター戦を開催。2002年にはセパンでのレースがシリーズ戦に組み込まれる。
シリーズ戦が海外1戦までは全日本選手権として認められるが、2戦以上になると全日本選手権としては認められない。運営団体であるGTアソシエイションは2005年以降に年間2戦以上の海外戦を予定していたため、全日本選手権から外れ、シリーズ名称もスーパーGTに改められた。
スーパーGTは市販車のシルエットを生かしたマシンを使い250km~1000kmを超えて最初の周回までのレース距離で戦われる。ドライバーは基本が2名で長距離の場合は3名以上も認められている。ドライバー交代が義務づけられているため、ピットでの作業時間もレースの勝敗に大きく影響する耐久レース的な要素もある。
獲得ポイントに応じて次戦からウエイトを積載する「ウェイトハンデシステム」を採用する。逆に成績が振るわなかった場合は、救済措置としてエンジンの吸気制限などが緩和され、性能調整が行われている。
スーパーGTのスタートはローリング式。1コーナーに進入しているのはGT500のマシン。後方のヘッドライトはGT300のもの
全日本GT選手権時代のスタートシーン。先代スープラが現役だった時代だ
補足情報
GT500マシンはどんな仕様か?
現在、GT500に参戦しているマシンは、トヨタがスープラ、日産がGT-R、ホンダがNSXだ。この3種のマシンだが、じつはモノコックは共通のものを用いている。これはFIAのクラス1規程に準拠するためのもので、DTM(ドイツツーリングカー選手権)などとマシンの共通性を持たせることが目的。同一モノコックに各社独自のボディを使い、スープラやGT-R、NSXに仕上げているというわけだ。エンジンは直列4気筒のターボで、それぞれのメーカーが独自に開発したもの。駆動方式はFRに限られるため、GTRも4WDではなく、NSXもミッドシップではない。そのほか、規程で多くのパーツが共通化されていて、開発コストを低減する工夫が行われている。ただし、タイヤについてはブリヂストン、ダンロップ、ミシュラン、横浜ゴムの4社が供給。熾烈な戦いを演じている。
①アウディ ②フェラーリ ③トヨタ ④ポルシェ(正解=④)