【日産自動車①】バブル崩壊後の倒産も囁かれた状態から復活
『ここをチェック』
★’80年代、’90年代までに世界一を目指す「901運動」実施
★1998年に有利子負債が約2兆円に達し、ルノーの傘下へ
★2016年、三菱自動車工業の筆頭株主となった
バブル崩壊後の倒産も囁かれた状態から復活
ダット自動車商会(快進社)とダット自動車製造(実用自動車製造)が合併して戸畑鋳物の傘下に入り、同社が新たに自動車製造株式会社を設立。その名称を1939年に変更する形で誕生したのが、日産自動車だ。
記念すべき第1号モデルは快進社のダット自動車(脱兎号)で、ダット(DAT)の名は出資者の田、青山、竹内の三氏の頭文字から取っている。
日産は創業当時から技術志向が強く、オースチンやフォルクスワーゲンと技術提携するなど、海外からノウハウを取り入れることにも積極的だった。また、大きな転換点となったのが、1966年のプリンス自動車工業(※①)との合併である。航空機メーカーを母体とするプリンス自動車を傘下に置いたことで航空機や宇宙関連の技術者を迎え入れることができた。
補足情報
①プリンス自動車工業
1966年に日産自動車と合併するまで存在した日本の自動車メーカー。戦後、航空機製造を禁じられた立川飛行機出身の技術者たちにより1947年に「東京電気自動車」の社名で発足。元航空技術者を多く擁する技術開発重視の社風で、1960年代にはモータースポーツ界でも活躍した。
ʼ80年代には、ʼ90 年代までに技術で世界一を目指す「901運動」(※②) を実施。エンジンからシャシー、サスペンションまでの開発に心血を注ぎ、すべてのモデルで卓越したハンドリングを実現しようと努力した。
補足情報
②901運動
1990年に技術の世界一を目指す」とした社内の啓蒙活動。1990年代前半までに開発する全車種を対象に、運動性能を中心としてシャシーやサスペンション、パワーユニットなどの開発に力を注いだ。その結果、R32型スカイラインやリーダーのGT-R、Z32型フェアレディZ、プリメーラなどの名車が誕生した。技術面でのハイライトは、電子制御の革新的な4輪駆動システム、ATTESAや4輪マルチリンクサスペンションなどだ。
技術を追求するいっぽう、かつてはトヨタと競い合っていた販売台数は年々差が開き、バブル崩壊の後には経営危機が囁かれるほどに。1998年には有利子負債が約2兆円に達し、翌年ルノーの傘下入りが決まった。最高経営責任者として当時ルノーの副社長であったカルロス・ゴーンが招へいされ、大胆なリストラと積極的に新型車の投入を行なった結果、2003年に負債を完済した。
2018年にはカルロス・ゴーン氏が金融商品取引法違反で逮捕される。2019年には特別背任罪で追起訴。多額の報酬のほかにも金銭などを得ていたなどが問題視された。
2020年9月にはスカイラインにプロパイロット2.0を搭載。限られた条件内ではあるもののステアリングから手を離して、運転が可能なハンズフリードライブを可能とした。
■日産は1968年に本社を銀座に移転したが、2009年に創業の地である横浜にグローバル本社を戻した
参考情報 ここもチェック!
今の日産を象徴する電動技術とプロパイロット
日産を象徴するクルマの1台に電気自動車のリーフが存在する。累計で世界で最も売れている電気自動車としてその存在感は圧倒的なものがある。そして、ノートなどに採用されるシリーズハイブリッドも注目。現状のインフラを考えると、EVとエンジン車の利点を生かせる方式は無視できない存在。
さらに、アダプティブクルーズコントロールとレーンキープアシストを組み合わせたプロパイロットの性能の高さも定評あるところ。従来、プロパイロットは2・0に進化。高速道路上での手放し運転が可能になるシステムで、マイナーチェンジ版のスカイラインから採用された。
例題/スバルから発売されたタントOEM車の車名は?
①プレオ ②キャロル ③シフォン ④ココア(正解=③)