【戦前の自動車②】この時代を代表するモデルは?
この時代を代表するモデルは?
マルクスカーは、荷車にガソリンで動く簡易な内燃機関を載せた世界で初めてのガソリン自動車だったが、ゴットリープ・ダイムラーが開発した自動車は4サイクルエンジンを搭載する、現代車の礎となる自動車。時を前後してカール・ベンツが本格的な自動車を開発して以降、自動車産業は長足の進歩を遂げることになる。
1901年に開発されたダイムラー35PSは、それまでの馬車、荷車ルックスから離れ、フロントにボンネットを持つ現代的な外観に近づいたのが特徴。フロントに搭載された5.9ℓの水冷直列4気筒エンジンが後輪を駆動するFRレイアウトを採用し、サスペンションを半楕円リーフとするなど、その構造も現代的だった。
■フロントにボンネットを持つ現代的なスタイリングを最初に採用したのがダイムラー35PS
自動車の大衆化に先鞭をつけたフォードT型は、前述のダイムラー35PSを簡素にしたような作りを持つ。操作が簡単な前2段、後1段のトランスミッションが採用され、運転の面でも大衆化が図られている。
■ベルトコンベアを利用した大量生産で一気に自動車を大衆化させたフォードT型
大衆向けのT型のデビューとほぼ同時期に、超高級車であるロールスロイス40/50HPが登場。良質な材料と確かな作りによりスムーズな走行と高い耐久性を実現し、その静かさはまるで幽霊のようであることから「シルバーゴースト」という愛称が付けられた。
■その静かな走りから「まるで幽霊のよう」と称えられた高級車ロールスロイス40/50HP
その頃、日本では初のガソリン自動車が吉田真太郎と内山駒之助という2人の人物によって1907年に開発され、約10台が製作されたが、ガタクリと走ることから「タクリー号」と呼ばれるようになった。ロールスロイスの超高級車であるシルバーゴーストとは、いわば対極にあるクルマだったのだ。
■1907年に登場した日本初のガソリン自動車タクリー号。ガタクリと騒々しく走ることから命名
蒸気自動車やレースカーでテストされていたFFレイアウトを初めて実用化したのが、1931年に登場したドイツのDKW F1だ。のちにDKWはアウディを構成する1社になることを考えると、現在のアウディが高級車メーカーでありながら積極的にFFレイアウトを採用する理由は、こういった起源にあるのかもしれない。
■三菱A型は三菱造船が1918年に完成させた初の量産乗用車。総生産台数はわずか22台
■1931年登場のDKW F1は世界で初めて前輪駆動を採用した量産車。500ccのミニカーだ
■フィアット500は1936年に発表された2人乗りの大衆車。トポリーノの愛称で親しまれた
ドイツの国民車構想から生まれたフォルクスワーゲンのKdF(のちのフォルクスワーゲンタイプ1=ビートル)は、低価格と大人4~5人の乗車、そして時速100㎞巡行を目指したクルマ。これらを実現するためにRRレイアウトや空冷フラット4エンジンを採用している。
■のちにタイプ1として発売されたVWのKdf。空冷エンジンをリアに置き、後輪を駆動する
しかし実際は1939年に第二次世界大戦が勃発してしまったため、量産直前まで到達していた戦前の国民車構想はストップしたのだった。
以後、日独の自動車産業は戦後復興を待つことになる。
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電気自動車の発明はガソリンエンジン以前
エコロジーの問題が取り沙汰される昨今、新世代のクルマとしてもてはやされている電気自動車(EV)。しかし電気自動車は決して新しい技術ではなく、実はガソリン自動車より先に発明されていたのだった。
世界で初めて電気自動車が開発されたのは1830年代のことで、実際に市販されたのは1886年。時速100㎞の壁を突破したのも1899年と、ガソリン自動車よりもEVのほうが先だったのだ。
この技術に目をつけたのがフェルディナント・ポルシェ博士だ。前輪のハブにモーターを内蔵した電気自動車のローナー・ポルシェを開発し、1900年のパリ万博に出展した。
その後、ガソリン自動車の台頭により電気自動車の開発は停滞するが、100年以上前から存在していたことには驚きを禁じ得ない。
名スポーツエンジン列伝/「F型」(ホンダ、直4) 1980年代終盤に登場し、アコードなどに搭載。1999年登場のS2000への搭載時には全面的な改良を受け、2ℓNAで250馬力を誇る9000回転まで回るエンジンに進化