【F1(フォーミュラ1)②】F1の過去の名勝負、過去の名マシンは?・近年のF1はどうなってるの?

F1の過去の名勝負、過去の名マシンは?

世界最高レベルのドライバーたちが争う選手権だけに、F1における白熱したレースシーンは数限りない。
例えばアルファロメオやマセラティなどのチームに所属したファン・マヌエル・ファンジオが席巻した1950年代は、1957年のドイツGPがハイライト。ピットインに手間どって順位を落としたマセラティのファンジオが怒涛の追い上げで1、2位のフェラーリを見事にかわしたレースだ。
1982年のベルギーGPで悲運の死を遂げたジル・ヴィルヌーヴは、1979年フランスGPでのルネ・アルヌーとのホイール・トゥ・ホイールのバトルが語り草。’80年代から活躍したネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナの4人の争いも、今では伝説になっている。セナとマンセルがデッドヒートを繰り広げた1992年のモナコGPは、F1史に残るレースといえる。
名勝負に欠かせない名マシンというか名物マシンといえば、6輪のタイレル(現ティレル)P34だろう。そのほか名マシンといえば、ウィリアムズが1991年シーズン用に開発したFW14Bが、空力とハイテクデバイスの結晶といえる傑作マシンとして語り継がれている。

 

 

■数々の名勝負を生み出したナイジェル・マンセル。その熱い走りは現在もファンの間で伝説になっている

 

 

■勇猛な走りで多くのファンを魅了したジル・ヴィルヌーブ。1982年の事故で帰らぬ人に

 

 

■ファン・マヌエル・ファンジオが圧倒した1950年代。1957年のドイツGPでは鬼神の走りを見せた

 

 

■ウィリアムズのFW14Bはアクティブサスペンションを搭載する。戦績は16戦10勝

 

■タイレル(現ティレル)P34はフロントが4輪の6輪車。1976~1977年に使用され優勝も果たした

近年のF1はどうなってるの?

2015年にマクラーレンへのエンジン供給という形でF1に復帰したホンダ。久々の日本勢の復帰にファンは沸いた。しかし、結果が伴わなかった。
2016年も滑り出しはいいものではなかったが、第2戦でドクターストップのかかっていたフェルナンド・アロンソの代役として出走したストフェル・バンドーンがデビュー戦にも関わらず10位に入賞、2016年最初のポイントとなる1Pを獲得した。2016シーズンはアロンソが54ポイントで10位、ジェイソン・バトンが21ポイントで15位、コンストラクターは76 ポイントで6位となった。
2017年はアロンソ、ストフェル・バンドーン体勢で参戦し、アロンソ15位、バンドーン16位の結果。
2018年、ホンダはトロ・ロッソにエンジンを供給。コンストラクターズは9位に終わる。 そうしたなかホンダは2019年からレッドブルにエンジンを供給。するとマックス・フェルスタッペンが開幕戦と第5戦で3位表彰台を獲得。好調な滑り出しを見せ、第9戦オーストリアGPでレッドブルが勝利。ホンダとしては13年ぶりの優勝となった。その後、第11戦ドイツGPでトロ・ロッソが優勝、第20戦ブラジルGPではレッドブルのフェルスタッペンがポール・トゥ・ウイン。ガスリーが2位と1-2フィニッシュもたした。
2019年のドライバーズチャンピオンはルイス・ハミルトン。コンストラクターズはメルセデスが獲得。ホンダはレッドブルが3位、トロ・ロッソが6位であった。
世界的なコロナウィルスのまん延はF1にも大きな影を落とした。日本グランプリを含む13ものラウンドが中止に追い込まれた。代替のグランプリなどが開催されたが、当初予定されていた22ラウンドから17ラウンドへと開催数が減少した。2021年は史上もっとも多い23ラウンドのグランプリが予定されたが、コロナウィルスの影響は収まらずカナダグランプリ、オーストラリアグランプリ、そして日本グランプリも中止となってしまった。オーストリアでの2戦開催や初となったカタールでの開催などもあり、2021年は全22戦を開催した。ドライバーズチャンピオンシップはマックス・フェルスタッペンが獲得。コンストラクターズはメルセデスが獲得した。

2022年シーズンは3月のバーレーングランプリで開幕、11月のアブダビグランプリまで全22戦が予定されている。開幕以前はロシアグランプリが17戦目に予定されており、全23戦のスケジュールであったが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて同グランプリは中止、代替開催も行われないこととなっている。編集時点ではハンガリーグランプリが終了し、マックス・フェルスタッペンがランキングトップとなっている。

 

 

■レッドブル・レーシングは2005年に誕生した新参チーム。2018年はルノーエンジンであったが、2019年からホンダユーザーとなった

 

■グラウンドエフェクトカーとなり18インチホイールに変更されたメルセデスのF1マシン

 

 

■2015年F1レースデビューのマックス・フェルスタッペン。父のヨスもF1ドライバー。2021年にはシリーズチャンピオンとなる

 

 

■2008、2014、2015、2017、2018、2019年、2020年と7度のチャンピオンを獲得したルイス・ハミルトン

 

 

■史上最年少でワールドチャンピオンを獲得し、4連覇を遂げたセバスチャン・ベッテル

参考情報 ここもチェック!

日本人ドライバーのF1における活躍

1987年に中嶋悟がロータス・ホンダで日本人初のフルタイムF1ドライバーとして参戦して以来、多くの日本人ドライバーがF1に挑戦している。
近年は活躍も目覚ましく、中でも佐藤琢磨と小林可夢偉の奮闘ぶりは、日本人のみならず世界中のファンを大いに感動させた。
琢磨は2004年のヨーロッパGPで日本人初の予選フロントローを奪い、アメリカGPでは日本人最高位タイの3位表彰台を獲得。2006年シーズンのスーパーアグリF1チームでも数々の見せ場を作った
。 可夢偉は参戦2戦目で6位入賞を実現。ザウバー移籍後、2012年はベルギーGP予選で2番手を獲得。鈴鹿では3位に入った。2013年シーズンは残念ながらシートを失ったが、2014年はケータハムでF1に復帰。2015年からは日本のスーパーフォーミュラに参戦。

 

 

■トヨタのリザーブドライバーからF1キャリアをスタートさせた小林可夢偉。2016年から2020年には日本のスーパーフォーミュラに出場。2016年よりトヨタWECワークスとして参戦、2021年にはル・マン24時間レースのウイナーとなった。現在はドライバー兼チーム代表となっている

 

 

■2021年、20歳でF1デビューを果たした角田裕毅。11戦終了時で11ポイントを獲得。2021年の最高位は第22戦・アブダビグランプリの4位。2022年は13戦終了時点で第4戦のエミリア・ロマーニャグランプリの7位

クルマ豆知識

例題/2019年まで(2020、2021は中止)で鈴鹿サーキットでのF1日本GPはで何回目?
①31回 ②32回 ③33回 ④34回(正解=①)

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