【ルノー①】第二次世界大戦後の国有化を経て株式会社に
『ここをチェック』
★ベンツ1号車に遅れること5年で生産車を出荷
★2度の世界大戦では国を支える役割を担う
★第二次大戦後は国有化されるが、のちに民営化される
第二次世界大戦後の国有化を経て株式会社に
1877年生まれの機械いじり好きな少年ルイ・ルノーはシャフトドライブによるリヤ駆動を発明。その特許で財を成し、1889年にルノー兄弟社を興した。
最初の生産車は翌1890年に工場から出荷された。ルノーの歴史はモータースポーツとともにある。会社発足まもなくから積極的に競技に参加。幾多もの勝利をものにし、それで得た名声とノウハウでルノーは売上げを伸ばしていく。
第一次世界大戦を前にパリのタクシー(※①)を大量に受注したルノーは、1台1台を製造する方式から分業制による大量生産に移行。この大量生産されたタクシーは第一次世界大戦で兵士の輸送用にも使われた。
補足情報
①パリのタクシー
1500台もの台数を一気に注文されたというパリのタクシーは、やがてロンドンタクシーとしても輸出されたという。第一次世界大戦の際には6000人の兵士を一夜のうちに50㎞離れたマヌルの前線まで運び、フランスが勝利するきっかけを作ったとも言われている。
ルノーはフランス軍のサプライヤーとしてクルマのほかに洗車や航空機エンジン、航空機本体までを生産する体制となっていた。戦時中ドイツに征圧されたルノーは、フランス開放と同時にその資産を国に没収。そして国有化、ルノー公団となる。
ほかの自動車メーカー同様、戦後のルノーを支えたのは小型車だった。1947年には終戦前から開発が進んでいた4CVを発売。4CVは日本でも日野ルノー・ブランド導入。1950年代にはタクシーで使用された。
1961年にはクルマのジーンズとも言われたルノー4を、1972年には大ヒットモデルルノー5を発売。1984年には欧州メーカーとしては初となるミニバン、エスパスを発売。
1990年。戦後45年が経ってルノーは株式会社に移行。1996年には完全に民営化される。敏腕経営者で知られるカルロス・ゴーンがミシュランからルノーにヘッドハンティング(※②)されたのも、この1996年である。カルロス・ゴーンは一連の疑惑から、2019年1月に退任となった。
補足情報
②ヘッドハンティング
欧米の自動車メーカーでは、スタッフがライバル会社に移籍することは日常茶飯事。それは経営陣でも同じこと。フォード社で社長を務めたリー・アイアコッカはのちにクライスラー社の社長になっている。また、デザイナーの移籍なども比較的多く。会社が違うのに雰囲気が同じクルマが存在したりしている。
※データには日産、三菱を含まない
ルノーのエンブレムの変遷。現在の菱形となるのは1925年からとなっている
参考情報 ここもチェック!
輸入車系では最大規模カングージャンボリーとは
欧州ではコマーシャルビークルとしても使われているルノー・カングーは、そのサイズ感とリーズナブルな価格などが受けて、好調に販売台数を伸ばしているが、その人気の秘密の一つとなっているのが、2009年から毎年開催されている「カングージャンボリー」というイベント。第1回は東京のお台場で開催、250台の参加であったが、2010年は開催地を静岡県に移動し関西、中京方面からの参加者に配慮した。年々、参加台数は増え、カングーだけで1108台、カングー以外のクルマを含めると1859台ものが山中湖に集結。自由気ままにゆったりとした時間を楽しみながら、このイベントの名物となっているピエール・エルメのチャリティマカロンなどを楽しんだ。
例題/オペルはどのグループに属するか?
①ステランティス ②フォルクスワーゲン ③ルノー・日産 ④GM(正解=①)