【ポルシェ①】中心となる911は1963年からの長寿作

『ここをチェック』
★フォルクスワーゲン・タイプ1を作ったポルシェ博士が創業
★911を中心に数種類のスポーツカーを製造
★近年は911以外のモデルも順調に販売台数を伸ばす

中心となる911は1963年からの長寿作

ポルシェは世界で最もメジャーなスポーツカーメーカーのひとつ。水平対向エンジンを車体後方に積み後輪を駆動する、独創的なスタイリングのスポーツカーである911を中心に、現在はミッドシップスポーツのボクスターおよびケイマン、SUVのカイエン、そしていわゆるスポーツセダンのジャンルに入れられるパナメーラをラインアップしている。
その歴史はダイムラーで辣腕をふるったフェルディナント・ポルシェ(※①)が、1930年末に自分の設計事務所を開設したことから始まる。

補足情報

①フェルディナント・ポルシェ

チェコ西部(当時はオーストリア=ハンガリー帝国の支配下)で1875年に生まれる。ダイムラー・ベンツの高性能車群や、世界的な大ベストセラーとなったフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)などの開発を手がけた。1931年、シュトゥットガルトにDr. Ing. h.c. F. Porsche GmbHを設立。

他社のクルマを開発し成り立っていたポルシェに当時のドイツ首相であったアドルフ・ヒトラーから声がかかり、国民車フォルクスワーゲン・タイプ1を設計することになったのは有名な話。その見返りとしてフォルクスワーゲンのパーツを使ったスポーツカーを作ることを許されたポルシェが、自社モデルの第一号として生み出したのがポルシェ356だ。設計はフェルディナントの息子フェリー・ポルシェ(※②)によるもので、1948年から生産が始まった。

補足情報

②フェリー・ポルシェ

フェルディナント・ポルシェの長男として1909年に生まれる。フェリーというは愛称で、本名はフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ。戦前、父の会社にスタッフとして入社したが、1951年に父フェルディナントが死去するとフェリーが名実ともに会社の代表になった。

大ヒット作となって17年間作られた356に代わり、1963年に登場したのがポルシェ911だ。得てして成功作の後継モデルは難しいとされるが、911は熱烈な支持を受け、モデルチェンジを繰り返しながら50年後の現在も、世界中で圧倒的な人気を博している。
逆に、ポルシェといえば911という絶対的なイメージが商業面でほかのモデルに悪影響を及ぼした時期もあったが、現在は棲み分けに成功し、911以外のモデルも順調に販売台数を伸ばしている。
年々高性能化するクルマを楽しむには、サーキットのように閉鎖された空間が必要ということで、ポルシェは世界中にポルシェを楽しむための会員制の施設「ポルシェ・エクスペリエンスセンター」を建設している。2021年には日本の千葉県にも世界で9番目となる「ポルシェ・エクスペリエンスセンター東京」がオープン。さまざまなタイプのポルシェのパフォーマンスを心おきなく楽しむことができる。
写真はフェリー・ポルシェ(中央)と、その父フェルディナント・ポルシェ(右)。356の1号車とともに

参考情報 ここもチェック!

「RRレイアウト」を続けるための努力

最新世代のポルシェ911まで連綿と受け継がれているRRレイアウト。始まりは356からとなるが、最初のプロトタイプの段階では実はミッドシップを採用していた。プロトタイプ2号車でリアエンジンになったのは、意外にも居住性を考慮してのことだったという。
かたくなにRRレイアウトを守るポルシェだが、その陰には紆余曲折の歴史がある。356時代は問題にならなかったが、6気となった911にはリアが重すぎてオーバーステア傾向が強いという弱点があった。これを解消するために、初代ではフロントに重りを置き、3代目では4WDを採用して安定性を向上し、4代目ではリアサスを刷新してキャパシティを上げるなど、さまざまな対策が取られてきた。

さまざまなタイプのコースが用意されているポルシェ・エクスペリエンスセンター東京

さまざまなタイプのコースが用意されているポルシェ・エクスペリエンスセンター東京

クルマ豆知識

例題/フォルクスワーゲン創業のきっかけとなった歴史上の人物は?
①ムッソリーニ ②ヒトラー ③スターリン ④チャーチル(正解=②)

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