【ダイハツ工業②】ダイハツの往年の代表的モデルは?・’90年代から現在までの代表的モデルは?
【ダイハツ工業①】トヨタの完全子会社としてコンパクトを担当
HA型三輪車で1931年に始まったダイハツ車の歴史。1952年に三輪乗用車Beeを発売すると、1957年には軽三輪のミゼットを投入。日本で初めて本格的なマーケティング調査をした甲斐もあり、ミゼットは一大ブームを起こすほどのヒット作となった。現在50歳以上の人は、昭和の町を元気よく走り回るミゼットの姿をよく覚えていることだろう。
1960年には、現在もコンスタントに売れている軽貨物車であるハイゼットの初代モデルが登場。1963年にはコンパーノのバンを、翌年にはセダンのベルリーナを登場させ、乗用四輪というジャンルにも進出を果たした。
1966年には軽乗用車フェローを発売。水冷2ストロークエンジンに四輪独立懸架という高性能を誇り、当時の軽自動車としては画期的な100㎞/h巡航を可能とした。
1967年にトヨタ自動車と業務提携を結ぶと、1969年に小型実用車トヨタ・パブリカのボディを流用したコンソルテを登場させ、1974年にはカローラをベースとするシャルマンが登場。1977年に発売されたシャレードはダイハツの完全オリジナルで、同年の日本カー・オブ・ザ・イヤーに見事輝いている。
シャレードは1977年登場のリッターカー。短い3気筒エンジンを横置きして室内空間を稼いだ
コンパーノはダイハツの乗用車進出第一弾。登場は1963年で、後にオープンモデルも追加
現行軽自動車のなかではもっとも古い商号となるハイゼットの初代が登場したのは1960年
トヨタグループとなっての第1作がコンソルテ。ボディはパブリカだがエンジンはダイハツ製
軽貨物では実績を持っていたダイハツの軽乗用車参入第一作が、1966年からのフェローだ
’90年代から現在までの代表的モデルは?
後に根幹車種となる軽自動車ミラがデビューしたのは1980年のこと。1983年に小型乗用車のシャレードをモデルチェンジすると、翌年にはイタリアのデ・トマソが監修した「シャレード デ・トマソ」をラインアップに加えた。
1995年にトールワゴンのムーヴを発売。左右独立スライドリアシートや横開きバックドアの採用、ターボモデルの設定など、後発ならではの強みを活かし、ライバルであるスズキ・ワゴンRにあげられた数少ない不満点を解消しているのが特徴だ。さらに背を高くしたスーパーハイトワゴンは、2003年のタントが先で、逆にスズキが後を追う形になった。
2シーターオープンの初代コペンは2002年の登場。作り込みのよさが光り、運転感覚は軽自動車の枠を越えたシッカリ感があった。2014年6月には新たな骨格と脱着構造が特徴の2代目コペンが登場している。そのほか、ミライースはガソリン車ながら30・0㎞/ℓ(JC08モード)という低燃費を達成。
2014年には、タントより背の高いウェイクを発表。さらなるトール化でユーティリティ性をアップした。
コペンの発売は2002年。市販軽自動車では世界初の電動油圧ポンプ開閉式ルーフを採用した
ミラココアの後継となるミラトコットは2018年6月に登場。女性目線のクルマ作りが行われた
2013年の東京モーターショーで登場したDECA DECAを市販化したのがウェイク
ダイハツの大人気モデルタントが2019年にモデルチェンジ。価格を据え置くという戦略
参考情報 ここもチェック!
モータースポーツにもかつては積極的だった
ダイハツはコンパーノで四輪自動車事業に本格参入した直後から、モータースポーツへ積極的に関わっている。
コンパーノスパイダーで全日本自動車クラブ選手権に参戦したのを皮切りに、プロトタイプレーシングカーのP3やP5で日本グランプリに出場した。フェローはミニカーレースに参戦し、多くの勝利を飾った。また、1982年の第30回サファリラリーでは、シャレードがクラス優勝を果たしている。
全日本ラリーなど大舞台での活躍の傍ら、レース用のベース車両の販売や、モータースポーツ入門イベントの開催も行なっていたダイハツ。残念ながら2009年にすべてのモータースポーツ活動からの撤退を決定し、50年近く続いた歴史に幕を下ろすこととなった。しかし、「ダイハツ=軽自動車の会社」だけではないことは、記憶しておくべきだろう。
例題/S30型フェアレディZの「Z432」。432の「2」が表す意味は次のうちどれ?
① 2つのカムシャフト ②2人乗り ③2000cc ④200馬力(正解=①)