【日産自動車②】日産自動車、往年の代表的モデルは?・ʼ80年代から現在までの代表的モデルは?

日産自動車、往年の代表的モデルは?

快進社時代のダットに始まり、日産自動車になってからもダットサン乗用車およびダットサントラックを進化させてきた日産だが、自社のオリジナル車両に初めて車名を取り入れたのは1959年のことだった。
その後日産の代表的車種になるブルーバード(310型)で、当時ライセンス生産をしていた英国の「オースチA50ケンブリッジ」に倣い、現代的な3ボックスのスタイルを採用したモデルだった。
この310型ブルーバードで手ごたえを掴んだ日産は、翌年にはフェアレディやセドリックを登場させ、その後シルビア、サニーを発売。これらはモータリゼーション黎明期の日本人の心をとらえ、スマッシュヒットを記録した。
いっぽうのプリンスはブルーバードに先んじて1955年、これまた後々まで続く代表的モデルになるスカイラインを発表。後にセドリックと姉妹車になるグロリアは、1959年にデビューしている。
プリンスと合併した後、日産自動車は1968年にスカイラインをモデルチェンジし、翌年にはスカイラインGT-RとフェアレディZという2つのスポーツモデルを追加。1970年には日産初の量産FF車となるチェリーを発売した。


1969年2月に発売された初代スカイラインGT-R。数々のモータースポーツにも参戦し、勝利を収めた


日産初の小型入門車として1966年に登場したサニー。後にカローラとの販売競争を繰り広げた


日本市場向けとしては1962年に発表されたフェアレディ。排気量を拡大しつつ1970年まで生産


初代Zは1969年、ダットサン・フェアレディに代わり登場。写真はモンテカルロラリー出場車


後々まで続く「スカイライン」の初代モデルがこれ、1957年発売のプリンススカイラインだ

’80年代から現在までの代表的モデルは?

ʼ80年代に入ると世界的な好景気の波に乗り、1982年発売のマーチを皮切りに、ʼ80 年代後半にはシルビア(S13型)、スカイライン(R32型)、フェアレディZ(Z32型)、セフィーロと、日産は次々にヒット作を生み出していく。
なかでも高級車シーマの登場は衝撃的で、「シーマ現象」という言葉までできたほどだ。 
ʼ90年代目前の1989年11 月にはレクサス(セルシオ)のライバル、インフィニティQ45も登場。日本中で空前の高級車ブームが巻き起こった。
そのほか面白い試みだったのが、マーチをベースにレトロなボディを与えた「パイクカー」のBe-1、パオ、フィガロの3車種だ。
しかしそれら(除くパイクカー)もʼ90年代に入ると、ルーティンなモデルチェンジをこなすものの、どれも旧型ほどの人気は獲得できず、ルノー・ゴーン体制下で車種整理の憂き目にあった。
その代わりにティーダやノート、ムラーノといった新世代日産車が登場。現在はEVのリーフやシリーズハイブリッドのeパワーなどに注目が集まっている。


リーフにはバッテリーを大型化し、航続距離を570km(JC08モード)としたe+を追加


1988年登場の5代目シルビア(型式名S13)は、歴代シルビアのなかで最多販売台数を記録


三菱との協業によってうまれたデイズは2代目に進化。軽自動車を超えた質感を備える


1988年に登場した初代シーマ。国産車離れしたデザインとパワーで一大ブームに

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日産といえば忘れちゃいけないGT-R!

クルマ好きにとっては特別な存在であるGT-R。その歴史は長く、1969年、3代目スカイライン(通称ハコスカ)の2000GTにレースカー直系の直6DOHCエンジンを搭載したのが始まり。
1973年に2代目GT-R(通称ケンメリ)へとモデルチェンジを果たしたが、排ガス規制の関係からわずか4カ月(197台)販売されたにすぎず、スカイラインGT-Rの名はしばらく表舞台から姿を消すことになる。
GT-Rの3代目(R32)が登場したのは1989年のこと。2・6ℓターボ+4WDという成り立ちで、4代目(R33)、5代目(R34)も同様だった。
そして2007年、スカイラインの名が取れ、スーパースポーツとして生まれ変わった日産GT-Rが登場している。

写真上は「スカイライン」の冠が取れた日産GT-R。登場は2007年モデルで、生産はすべて栃木工場。最高出力480psの3.8ℓ V6 ツインターボエンジンを搭載。2014年モデル以降は550ps、2017年モデル以降は565psにパワーアップされている


クルマ豆知識
例題/ヒュンダイの乗用車部門が日本市場を撤退したのは何年?
①2010年 ②2011年 ③2013年 ④2014年(正解=①)


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