【1980年代の自動車①】排ガス規制で失われた動力性能を技術で挽回

『ここをチェック』
★空力が注目され自動車のスタイリングが大きく変化
★市場の要求からハイテク化、ハイパワー化が進む
★基本に立ち戻ったシンプルなモデルが人気に

排ガス規制で失われた動力性能を技術で挽回

自動車における’80 年代という時代をひと言でまとめるならば、「環境性能を高めるために停滞していた走行性能を向上させた時代」ということになる。’70年代の排ガス規制によりダウンしてしまったエンジンパワーを技術で取り戻す、というのが最もわかりやすい例だろう。
エアロダイナミクス(空力)の追求も、そんなうちのひとつ。クルマに付き物な空気抵抗を減らすことで最高速度と燃費性能の向上を狙うというもので、1982年にアウディが先鞭をつけた「フラッシュサーフェス化ボティ(※①)」は、その後は当たり前といってよいほどに普及した。

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①フラッシュサーフェス化ボティ

表面の凹凸や隙間をなくした滑らかなボディ。空気抵抗が小さく高速走行や燃費面で有利で、現代のクルマでは当たり前の技術になっている。それをいち早く市販車の世界に持ち込んだのが、1982年に登場したアウディ100。Cd値は当時としては驚異の0.30だった。

また、空気抵抗の減少を狙って開発されたリトラクタブル・ライト(※②)は、’80年代の日本でファッション的な大流行に。最盛期は一部のファミリーセダンにまでリトラクタブル・ライトが装着されるようになった。

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②リトラクタブル・ライト

消灯時はボンネット内部に格納され、点灯時のみ外部に展開される構造のヘッドライト。消灯時の空力抵抗を軽減するための機構で、スーパーカーなど超高速で走行するモデルを中心に採用されたが、1980年代にはファッション目的で導入するファミリーカーが増えた。


4WDが浸透したのもこの時代の特徴だ。実用的な4WDはもちろん、トラクションの高さをスポーツ走行に利用するという新しい方向性が生み出されたのが’80年代。こちらもアウディが先駆者だが、のちにポルシェや日産も導入している。
走行性能が上がれば安全性も……というイタチごっこはこの時代も続く。エアバッグやABSは徐々に装着されるようになる。アメリカではハイマウントストップランプが義務化。日本でも少しずつ拡大する。結果として事故を未然に防ぐことに繋がる、操縦安定性の高いマルチリンク式サスペンション(※③)が登場したのも’80年代のことだ。

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③マルチリンク式サスペンション

ダブルウィシュボーンをベースに、トー角やキャンバー角などをコントロールできるようにしたサスペンション。単にリンク数だけでは定義できない。


’80年代後半は未曾有の好景気に沸いた日本の自動車が躍進。静粛性と信頼性を武器にした日本流の高級車が世界を震撼させた。


4WDのトラクションを生かしたスポーツカーが続々と登場した1980年代。写真はポルシェ911カレラ4

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クルマ好き以外にも訴えた二つのテレビCM

この年代で注目されたテレビCMは、いすゞジェミニと日産セフィーロだ。
ジェミニは「街の遊撃手」というキャッチコピーをそのまま表現したようなカースタント物。パリ市街地を踊るように走るCMで視聴者にインパクトを与えた。このCMの反響は大きく、月間販売台数で王者カローラを抜くこともあった。
セフィーロは日本の自動車広告としては珍らしくティザー広告(情報を小出しにして注意を引く広告)を採用。しかし、それよりも歌手の井上陽水が同車の助手席から「皆さんお元気ですか?」と問いかけるCMのほうが印象深いはず。同CMがオンエアされてまもなく昭和天皇が体調を崩されたこともあり、井上陽水が喋る部分だけ音声がカットされたというエピソードがある。

1988年にまったくのニューモデルとして登場した日産セフィーロ。ティザー広告や井上陽水が「皆さんお元気ですか?」と問いかけるCMの効果もあり、一躍人気車となった。写真はオーテックバージョン


クルマ豆知識
絶版名車列伝/「三菱GTO」(1990~2000年) 三菱のフラッグシップとなるスポーツカーとして登場。トップモデルは重量級のボディに3ℓV6ツインターボを搭載し、アメリカンな豪快さが魅力だった


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