【三菱自動車工業②】三菱自動車、往年の代表的モデルは?・’90年代から現在までの代表的モデルは?

三菱自動車、往年の代表的モデルは?

自社初の完全オリジナル乗用車として三菱500を1960年に発売した三菱自動車。1962年には軽自動車のミニカを、1964年に高級車のデボネアを、1969年にはミドルセダンのコルトギャランをと、順調にそのモデルラインアップを拡充していった。
1970年代に入っても三菱のラインアップ拡充の勢いはとどまることを知らず、まずはコルトギャランGTO、ギャランクーペFTOといった若者向けのスタイリッシュなクーペモデルを投入。そして翌年には大衆車のランサー、ヒット作となったギャランΣ(シグマ)、同Λ(ラムダ)というサルーン&2ドアHTモデルが登場。1978年には世界戦略車として小型ハッチバックのミラージュを発売した。また、三菱の人気ワンボックス、デリカが初登場したのは1979年のことだ。
三菱自動車の攻勢はその後も続き、1982年に4WDのパジェロをデビューさせてクロカン4WDブームを巻き起こすとともに、1986年には高性能と環境性能とを両立させた異色のスポーツカー、スタリオンを投入する。
1987年にモデルチェンジを果たしたギャランは、三菱車としては初めて日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。


1970年「コルトギャランGTO」の車名で発売されたファストバッククーペ。当時の若者の心を捉えた

1969年登場のギャラン。1976年の3代目から2ドアHTは「Λ(ラムダ)」のネーミングとなった

初代ランサーの登場は1973年2月。同年9月にはラリー競技用ベース車の1600GSRを追加

初代パジェロはフォルテをベースに1982年登場。クロカン4WDブームを巻き起こした

1978年、三菱初のFF車として登場した初代ミラージュ。これを機にカープラザ店を展開した

’90年代から現在までの代表的モデルは?

いわゆるバブル経済の崩壊で他社がトーンダウンした1990年代も、1990年のミニカトッポ、ディアマンテ、GTOに始まり、1991年のRVR、1994年のFTO、パジェロミニなど数多くの新型車を積極的に市場へ投入した。ちなみに、4WDスポーツとして高い人気を誇るランサーエボリューションも、初代モデルは1992年の登場だ。
2000年にもプラウディア/ディグニティという高級車を登場させたが、リコール隠しの不祥事以降はペースダウンを余儀なくされる。新たにデビューしたモデルも、コルトやアウトランダーのような、どちらかというと真面目さがうかがえるクルマばかりだった。
革新的だったのは、玉子のような形状をした軽自動車i。派生モデルのi-MiEVは他社に先駆け2009年に登場した量産EV(電気自動車)だ。
近ごろは三菱伝統の小型車ミラージュの名称を復活させたり、モデルチェンジしたアウトランダーにPHVモデル(アウトランダーPHEV)をラインアップ。今後は日産との関係がより強まり、新しいクルマが登場してくることだろう。


日産との協業で生み出されたeKシリーズ。写真はSUVイメージが強いeKクロス

アウトランダーのプラットフォームを用いて作られたコンパクトSUVのエクリプスクロス

尿素SCRを用いたクリーンディーゼルエンジンを搭載するマイナーチェンジしたデリカD:5

軽自動車のiをベースに完全EV化したi-MiEVは、2018年にボディ全長が伸び小型車となった

参考情報 ここもチェック!

筆頭株主が日産に出資額は2370億円

三菱自動車が燃費不正を最初に公表したのが2016年4月20日。そして日産が2370億円で三菱株の34%を取得すると発表したのが5月12日。問題発覚から1カ月を待たずに話がまとまっている。
日産は市場に流通している株や三菱自動車が所有している株を購入するのではなく、新たに発行される5億660万株の三菱自動車株を、一株当たり468円52銭で取得する予定で、取引成立後、日産が所有する三菱自動車株の比率は34%と高まり、三菱自動車の筆頭株主となる。
現在は元会長で代表取締役兼CEOの益子修氏が取締役会長兼代表執行役に、三菱東京UFJ銀行出身の池谷光司氏、三菱商事出身の白地浩三氏などが経営陣に名前を連ねるほか、ロシアやインドネシアで重要ポストを歴任した加藤隆雄氏が、2019年6月より加わった。

カルロス・ゴーン氏(左)は、三菱自動車の会長でもあったが、現在は解任されている。


クルマ豆知識
例題/「400R」という名称が初めて用いられたスカイラインの型式は?
① KPGC10 ②R32型 ③R33型 ④R34型(正解=③)


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