【FCA②】戦後から’80年代前半までの代表モデルは? ・’80年代後半から現在までの代表モデルは?
戦後から’80年代前半までの代表モデルは?
フィアット最初の大量生産車であるZEROと、低燃費の508、世界最小だった500(チンクエチェント)は、戦前のフィアットを支えた名車。第二次世界大戦後は1957年デビューの2代目500が累計360万台以上の大ヒット。その後も前輪駆動のフィアット127やミッドシップスポーツのX1/9、実用的な小型車であるパンダを発売して、フィアットは一時代を築いた。
創業当初のアルファロメオは、レーシングカーの8Cや高級実用車の6Cなど、かなりスペシャルなモデルだけを作るメーカーだった。1950年に1900を登場させ、「スポーティな大衆車を手がける自動車メーカー」に方向転換。1954年にジュリエッタシリーズを発売し、1962年にはジュリアシリーズを、1966年に派生車種であるスパイダーを発売した。
1924年に発表されたクライスラー・シックスという6気筒エンジン搭載モデルを擁して自動車産業に参入したクライスラー。1955年に登場した300は、クライスラーが当時力を入れていた「HEMIエンジン」というV型OHVエンジンを搭載したモデル。最高出力は300馬力を誇り、数々のレースで栄冠をつかんだ。2ドアのスペシャルティカーであるプリムス・ヘミクーダが発売されたのは1964年のこと。フォードのマスタングより2週間早いデビューで、2ドアスペシャルティの先駆け。
ジープはもともと軍用車として開発。その走破性の高さが評価され、民生用としても人気となる
数々のレースで活躍した「クライスラー300」は1955年に登場。最高出力300psのHEMIエンジン搭載
フィアットX1/9は1972年に発表された量産ミッドシップスポーツの先駆け的存在
アルファロメオの初代スパイダーは、ジュリアのシャシーを使った2シーターオープンカー
’80年代後半から現在までの代表モデルは?
フィアットは1993年に小型車のプントを発売すると、翌年には2ドアクーペのクーペフィアットを、翌々年にはオープン2シーターのバルケッタを投入。2000年代には、名車のモデルネームを継承した2代目パンダと3代目500がデビューし、両モデルとも好調なセールスを記録。なお、現在日本ではこの500と、モデルチェンジを果たしたパンダが正規輸入されている。
アルファロメオは1989年にFRスポーツのSZを、1992年にそのオープン版であるRZを登場させると、同年にはFFスポーツセダンのアルファ155を発売。また1994年にはアルファ145も登場させる。同時期にはクーペのGTV、オープンのスパイダーもデビューし、’90年代のアルファロメオは隆盛を誇った。
1975年にクライスラーとしては初となるミドルサイズのコルドバを、1981年にはFFコンパクトカー「Kカープラットフォーム」を用いたプリムス・リライアントを投入。また、同じプラットフォームを利用したプリムス・ボイジャーで「ミニバン」という新ジャンルを開拓したのもこの時期のこと。
かつてのイタリアのレーシングファクトリーであったアバルトは、1971年にフィアットに買収。現在はフィアットグループの一部門としてアバルト&C社が存在、アバルトブランドのモデルもリリースされ、人気を博している。
コンパクトモデルを得意とするのがフィアットブランド。写真のモデルは1.3ℓエンジンを積む500X
根強い人気を誇るジープのヘビーデューティモデル、ラングラーの最上級がルビコン
180馬力のパワフルなエンジンを積む、アバルト・595コンペティツィオーネの限定モデル
アルファロメオブランドのFRスポーツモデルとして復活したジュリア。写真は2.0ターボを積むヴェローチェ
参考情報 ここもチェック!
アバルトってどんなブランド?
二輪のレーシングライダーだったカルロ・アバルト(ライダー時代はカールと名乗った)が興したチューニングパーツメーカーがアバルトの出発点。カルロが蠍座生まれであったことから、エンブレムに蠍を用いている。
アバルトのマフラーは非常に人気を博し、それで得た資金を元にレース活動を行った。レースでの成績は輝かしいもので、メジャーチームとして知られた。
1971年にはフィアットに買収されグループ内でレース活動などを担当する。
2007年にフィアットはアバルト&C社を復活させる旨を発表。
フィアットのチューニングモデルではなく、アバルトブランドのモデルとして独立して活動することとなった。
①フェアレディZ ②ミラ ③アルト ④カローラ(正解=③)