【アウディ②】往年のアウディ、その代表的モデルは? ・’90年代から現在までの代表的モデルは?

往年のアウディ、その代表的モデルは?

初めてアウディの名が冠されたタイプAが登場したのは1910年のこと。というのも、1932年のアウトウニオン結成後しばらくはそれぞれの社名で、あるいはアウトウニオン名義で新型車が投入されていたのだ。その間、ホルヒ853やヴァンダラーW25Kといった数々の名車も誕生した。
アウディの名が復活したのはフォルクスワーゲン傘下に入ってから。1965年に登場した72PSで、その名が示すとおり最高出力72馬力のエンジンが搭載されていた。翌年にバリエーションとして追加されたのが、現在のA4の前身となるアウディ80だ。
1968年にはA6の祖先となる100が誕生。その2年後に登場した100のクーペは、空力を意識した斬新なモデル。1982年に発売された3代目100はさらに空力特性が磨かれ、ボディ表面の段差を極力なくす「フラッシュサーフェスボディ」により、当時としては驚異的なcd値0・30を達成したモデルだ。
1980年に発表されたクワトロは、4WDシステムを悪路走行のためではなく「スポーツ走行のため」に採用した世界で初めてのモデル。1980年代のWRC(世界ラリー選手権)でも大いに活躍した。


1980年から1991年まで製造されたアウディクワトロ。市販クーペのほか、世界ラリー選手権でも活躍


スーパーチャージャー付き6気筒エンジンを搭載したアウトウニオンのヴァンダラーW25K


ホルヒ853は戦前のホルヒが製造したスペシャルティ。4.9ℓの直列8気筒エンジンを搭載した


空気抵抗の少ないボディ形状で、当時としては画期的なCd=0.30を実現した3代目アウディ100


現在のA4の先祖にあたる80は1966年登場。写真は日本でもヒットした’79年からの2代目80

’90年代から現在までの代表的モデルは?

’90年代のアウディは、Sシリーズの登場によりスポーツ色をいっそう強めている。まずは80(およびクーペ)をベースとしたスポーツモデルのS2を、次いで100ベースのS4をマーケットに投入した。
独自のフレーム構造を持ち、オールアルミ製ボディのASF(アウディ・スペース・フレーム)を採用するA8は1993年のフランクフルトショーにおいてお披露目され、翌年には販売を開始。これを機にアウディ100は「A6」に名称を変更し、同年にフルモデルチェンジを受けた80も「A4」というモデル名で発売された。
プレミアムコンパクトのA3が登場したのは1996年のこと。当時のフォルクスワーゲンゴルフとプラットフォーム(車台)は共有するが、アウディらしく上質に仕立てられている。そのA3をベースに、ショーカーのような近未来的なスタイリングのボディを与えたのが初代TTクーペ&ロードスターだ。
2006年に登場したR8は2016年にフルモデルチェンジ。搭載エンジンは従来のV8は載せられずV10のみとなった。クーペのみならず、スパイダーも設定されている。


SUV系のフラッグシップとなるQ8。ワールドプレミアから約1年遅れで日本導入開始


フラッグシップのA8は3代目に移行。スポーツバッグのA7も同時に登場


ワゴンモデルにはアバントのネーミングを採用するアウディ。写真は新型となるA6


2018年の秋からヨーロッパでのデリバリーが開始された、新型となる第二世代のA1

参考情報 ここもチェック!

アウディグループを構成する2つのメーカー

アウディそのものがVWグループであるが。VWグループにはVW系とアウディ系が存在している。
そのアウディ系に属しているのがスーパーカーでおなじみのイタリアのメーカー、ランボルギーニと、かつてはフィアットと関係の強かったスペインのセアト。かつて、セアトはWTCCにも参戦していたこともある。アウディ系は意外なほどにスポーツ色が強い。

ランボルギーニの最新モデル、ウラカン・ペルフォルマンテ。2016年10月にニュルブルクリンクにて量産車最速のラップタイムを記録した

2016年のジュネーブモーターショーで発表されたセアト初のSUVとなるアテカ。ボリュームゾーンへの参入で、シェア拡大を目指す


クルマ豆知識
例題/2019年のF1第9戦でレッドブル・ホンダが優勝。そのドライバーは?
①マックス・フェルスタッペン ②ピエール・ガスリー ③ダニエル・リカルド ④ストフェル・バンドーン(正解=①)


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