【トヨタ自動車②】トヨタが製造した往年の代表的モデルは?・’90年代から現在までの代表的モデルは?

トヨタが製造した往年の代表的モデルは?

GA型トラック、AA型乗用車で自動車の量産を始めたトヨタ。1955年に初の本格的乗用車であるクラウンを発売すると、1957年には当時最先端のモノコックボディを採用したコロナを、1961年には大衆車のパブリカをと、矢継ぎ早に話題のモデルを市場に投入していった。
しかしこのパブリカがあまりにも簡素な仕様で、当初は市場に受け入れられなかった。その反省から生まれたのが派生モデルであるスポーツ800。そしてユーザーの上級志向に応えた、今日まで続く一大ロングセラーモデルとなったカローラだ。
これらの成功で軌道に乗ったトヨタが次に着手したのは、イメージリーダーとなるスポーツカーで、1967年に伝説のトヨタ2000GTを発売。また、翌年にはコロナとクラウンの間を埋めるコロナマークⅡを、1970年にはセリカを、そして1973年にスターレットを投入し、フルラインアップメーカーの礎を築いた。
1980年代に入り日本の景気が上を向くと、ハチロクことAE86型レビン/トレノやMR2、カリーナED、スープラなどを発売し、1989年には超高級車のセルシオをラインアップに加えた。

パブリカとコロナの中間車種として1966年に登場したカローラ。日本国内では同クラス初のフロアシフト4MT



初代クラウン。写真はトヨタ博物館に所蔵される、左ハンドルモデルという珍しい個体



ヤマハと共同開発した2000GT。大卒初任給2万6000円の時代、新車価格238万円だった



クラウンとセンチュリーの間に位置する新しい車種として1989年に発表されたセルシオ



1983年発売の、カローラとスプリンターのスポーツモデル、レビン(写真)とトレノが大ヒット

’90年代から現在までの代表的モデルは?

’90年に一風変わったガルウイング・クーペのセラなどを登場させたトヨタだが、バブル景気の崩壊に伴い、車種の整理を余儀なくされる。
再び活気づいてきたのは1997年になってからで、この年にはプレミアムSUVの先駆けとなるハリアーや、世界初の量産ハイブリッド車プリウスがデビューしている。
その後、プリウスで磨いたハイブリッド技術を多くの車種に流用。現在はクラウンや小型車のアクア、レクサスLS(セルシオの後継)、レクサスRXなど、さまざまなモデルにハイブリッドグレードが用意されている、2005年には高級車ブランドであるレクサスを日本国内でも展開し始めた。
そして2012年にはスバルと共同開発したコンパクトスポーツの86を発売。2014年には世界初の量産燃料電池車であるMIRAIをデビューさせるなど先進技術にも意欲的だ。
近年の日本市場ではモデルの復活が目立つ。2017年にはピックアップトラックのハイラックスを復活、2019年にはRAV4を復活。さらに最大の話題は17 年ぶりとなるスープラの復活である。



一時販売がストップしていたハイラックスの販売を再開。現行モデルはタイ製となる



トヨタを代表するスポーツモデルであるスープラは17年の月日を経て2019年に復活



カローラシリーズのユーザー年齢層を下げるために投入された5ドアHBのカローラスポーツ



4代目は日本に正式導入されることなく終わったRAV4。現行の5代目は2019年に登場


参考情報 ここもチェック!

トヨタの最高級ライン「レクサス」について

安さと高品質を武器に世界中で成功を収めたトヨタが、次に選んだ戦略が高級車市場への参入であった。とはいえ、ライバルと争うにはトヨタは大衆車のイメージが強すぎたため、新たに設立したブランドがレクサスだ。
まず最初にレクサスブランドが導入されたのは米国で、1989年に従来のトヨタ車の基準を越える体制、品質で開発したLS(日本名セルシオ)を発売。追ってES(カムリ・プロミネント)、SC(ソアラ)、GS(アリスト)などを追加し、北米の高級車市場で人気となった。
北米市場を足がかりに世界中に展開したレクサスが、日本国内でも販売されるようになったのは2005年のことだった。存在感のあるスピンドルグリルとハイブリッドを手に入れたレクサスの各モデルは、現在も好調なセールスを記録している。

アメリカでは1989年から展開が始まり、日本では2006年にスタートした「レクサス」。その圧倒的な静粛性と内外装の組み上げ精度は、ヨーロッパの高級車メーカーにも衝撃を与えた


クルマ豆知識
例題/チェコの自動車メーカーのシュコダはどこの傘下?
①ダイムラー ②フィアット ③フォルクスワーゲン ④ルノー(正解=③)

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