【SUBARU①】「中島飛行機製作所」の中枢ほか4社で設立
『ここをチェック』
★市販車第1号は1958年デビューのスバル360
★4WDなど手の込んだ技術を採用するのは昔からの社風
★創業100年となる2017年、社名をSUBARU(スバル)に変更
「中島飛行機製作所」の中枢ほか4社で設立
スバルブランドを擁する富士重工業の起源は、元海軍機関大尉の中島知久平が1917年に設立した「飛行機研究所」にある。
飛行機研究所は1919年に「中島飛行機製作所」(※①)になったが、終戦とともに飛行機の生産を停止し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)により15社に分割された。
補足情報
①中島飛行機製作所
1917年から1945年まで存在した日本の航空機・エンジンメーカー。創業者は元海軍機関将校の中島知久平。旧日本陸軍の制式戦闘機であった「九七式戦闘機」や「一式戦闘機(隼)」「四式戦闘機(疾風)」などは中島飛行機の作品。1945年、財閥会社として解体を占領軍より命ぜられた。
その中枢が、1950年に富士産業として再出発することになった。再びの飛行機開発と自動車開発の機運が高まり、東京富士産業、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、宇都宮車両の5社が共同出資し、1953年に設立されたのが富士重工業だ。ちなみに、スバルのトレードマークである六連星は、出資した5社+富士重工業も表わしている。
1949年にはふじ号(バス)を開発していたが、富士重工業になってからは1954年のスバル1500(P-1)の開発が最初。あいにく発売には至らなかったが、これが初めてスバルの名を冠したクルマ。なお、市販車第一号は軽自動車のスバル360で、デビューは1958年のこと。
飛行機製作から始まった富士重工業は技術の高さがセールスポイント。いち早くボディにモノコック構造を取り入れたり、水平対向エンジン(※②)や4WDといった手の込んだ技術を古くから採用しているのも、技術力のなせる技だろう。
補足情報
②水平対向エンジン
スバル車最大の特徴といえる、シリンダーを左右交互に水平に配置したエンジン。振動特性に優れたクランク、シリンダー形式のエンジンで、少気筒でもバランスウェイトを使用することなく振動を相殺することができる。また車体重量バランスが低く理想的になるのもこのエンジンの利点だ。
現在はトヨタ自動車を筆頭株主に迎え、独自性を残しつつ、効率的な開発を展開。ぶつからないブレーキで一世を風靡した「アイサイト」も全速度域での追従走行が可能なほど進化を遂げたことなどが功を奏し、販売台数を伸ばしている。
■飛行機研究所創立から100年となる2017年、富士重工業は社名を「SUBARU」に変更した
参考情報 ここもチェック!
スバル得意の「AWD」とはどんなモノ?
AWDとは「All Wheel Drive(オール・ホイール・ドライブ)」の略。日本語だと総輪駆動となる。非ジープタイプの乗用車としては世界で初めて4輪駆動を採用したメーカーらしいこだわりで、4WDという言葉がジープを連想させるのを嫌ってAWDと呼ぶようになったと言われる。
当初はパートタイム式の4WDだったが、1981年に湿式油圧多板クラッチを利用したフルタイム式を導入。以降はスバル車のほとんどに設定されるようになり、「AWDのスバル」というイメージを強く植え付けた。
低重心で左右のバランスが均等となる水平対向エンジンとの組み合わせは、高い走行安定性を生み、現在スバル車の4輪駆動はシンメトリカルAWDと呼ばれている。
例題/三菱パジェロファイナルエディションのベースとなったグレードは?
①ZR ②GR ③エクシード ④スーパーエクシード(正解=③)