【本田技研工業②】本田技研、往年の代表的モデルは? ・’80年代中盤以降の代表的モデルは?

本田技研、往年の代表的モデルは?

1963年、日本初のDOHCエンジンを搭載した軽トラックT360で4輪事業に参入したホンダだが、その直後にスポーツカーであるS500を発売したのは、いかにも今日にも通じる“ホンダらしい”ところといえるだろう。一般的な乗用車としては、1967年デビューのN360が最初で、軽規格ではない乗用車は、1969年発売の1300からその歴史がスタートした。
のちにホンダの根幹車種となるシビックが登場したのは1972年のこと。翌年、低公害なCVCCエンジンを設定し、国内およびアメリカを含む諸外国でも大ヒットを記録。これまた根幹車種だったアコードは1976年の発売で、当初は3ドアハッチバックのみ。セダンは後から追加されたものだ。「デートカー」として一時人気を博したプレリュードは初代が1978年に登場。2代目(1982年~)と3代目(1987年~)は当時の若者の人気を集め、一世を風靡した。
忘れてはならないのが、1981年デビューのシティだろう。小ぶりなボディながら、全高を高く取ることで室内スペースを稼いだエポックメイキングなモデルで、そのファニーなルックスもあって若者を中心に絶大な人気を誇った。


1967年から1972年まで販売された軽自動車N360。354ccの空冷並列2気筒エンジンを搭載していた


アコードは中型3ドアハッチバックとして1976年に登場。1980年にセダンは角目ライトに


初代シビックは1972年から1979年まで販売。1975年に全車CVCCとなり、国内外で大ヒットした


シティは「トールボーイ」と呼ばれるスタイルのコンパクトカーとして、1981年に初代が誕生


2ドアクーペのプレリュードは1978年に初代が登場。写真の3代目は「デートカー」として人気に

’80年代中盤以降の代表的モデルは?

’80年代中盤には3代目シビック(通称ワンダーシビック)やバラードスポーツCRX、クイントインテグラなど、個性の強いモデルを次々と投入。そして1985年にはレジェンドを発売し、ホンダもついに高級車市場へと参入した。
’90年代に入ると、まず1990年に本格ミッドシップ・スーパースポーツのNSXがデビュー。翌年には軽ミッドスポーツのビートを発売し、「スポーティで高性能」という、世間から見たホンダのイメージをより強固なものとした。
そうしたいっぽうで、オデッセイやステップワゴンといった実用性の高い車種を登場させ、2001年には今なお大人気の定番コンパクト、フィットがデビューを果たしている。
ハイブリッド車の導入は早く、1999年にインサイトを発表。スポーティなCR-Zや、手頃なフィットハイブリッドなど、ハイブリッド車のラインアップを広げている。ホンダ4輪の起源でもある軽自動車は、2011年にNボックス、翌年にNボックス+とNワン、2014年にはNボックススラッシュが登場し、国内販売シェア2位奪回の原動力となった。


2016年から国内でもデリバリーが開始された2代目NSX。2018年にマイナーチェンジ


後輪駆動のEVとして2019年中に生産が始まるホンダe。EV走行距離は200km以上という


高い評価を得ているホンダジェット。2018年ついに日本でのデリバリーが開始された

2019年に新型が登場するNワゴン。多くの部分で新設計が施されている

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1964年から始まったホンダF1の歴史

ホンダF1の第1期は1964年から1968年まで。フルコンストラクター(車体とエンジンの両方)としてF1に臨み、二度の優勝を飾った。
第2期は1983年から1992年までエンジンサプライヤーとして参戦し、マクラーレンやウィリアムズ、ロータスといった名門と手を組み、通算69勝をあげた。また、アイルトン・セナやアラン・プロストといった名ドライバーを擁したのもこの時期。
2000年からの第3期は最初の1年だけはエンジンのみの供給で、翌年からは車体も共同で開発。2006年から2008年の撤退までは純ワークスになったが、ジェンソン・バトンが1勝をあげるにすぎなかった。
第4期は2015年からスタート。当初はマクラーレンへのエンジン供給だったが、成績は低迷したままだった。
転機が訪れたのは2018年、トロ・ロッソへのエンジン供給を開始してから。翌2019年にはトロ・ロッソの親チームであるレッドブルにもエンジンを供給。第9戦オーストリアグランプリで、マックス・フェルスタッペンが優勝。ホンダにとって2006年以来となる優勝となった。


クルマ豆知識
例題/ブレーキランプが切れた時、止まる時の手信号は?
①手を振る ②手を水平に出す ③手を斜識め下に出す ④手を斜め上に出す(正解=③)


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