【ボルボ②】’80年代前半までの代表モデルは? ’80年代から現在までの代表モデルは?

’80年代前半までの代表モデルは?

1927年、ÖV4から自動車製造に乗り出したボルボは1935年に導入するTR704までは馬車型(箱形)のモデルを作っている。ÖV4をのぞくモデルはサルーン(オープンモデルが設定されるモデルもある)で、タクシーやショーファードリブンとしての用途が多かった。
ボルボのデザインが大きく変わるのは1935年のPV36カリオカからで、このモデルからクルマの形は流線型となる。
スウェーデンは第二次世界大戦に参戦せず、中立国の立場を取ったことから、戦火に見舞われることなくボルボもクルマの製造を続けられた。
戦後となる1946年、小型車のPV444を発表、58年に後継車のPV544が登場するまで20万台が製造された。
1945年にはPV445デュエットを、1965年にはP1200アマゾンを発表、61年のP130アマゾン、同P1800と魅力的なクルマが次々と登場。
1966年には140を発表。1974年に発表された240シリーズ、260シリーズは近代のボルボらしいスタリングを持つ。1970年代から1980年台にかけて、ボルボのスタイリングは見慣れた四角いボルボの時代となる。

 

 

■ボルボが最初に作ったÖV4。この時代からボルボのエンブレムは基本的に変わっていない

 

 

■1954年に登場したP1900はFRPのボディを採用した先進的なスポーツカーだった

 

 

■PV445デュエット。ブリスターフェンダーの2ドアワゴンというスタイリッシュなモデル

 

 

■第二次世界大戦後に販売されたPV444。スタリングはアメリカ車から影響を受けている

 

 

■1974~1993年まで長きに渡って製造された244。V6エンジンやディーゼルも存在した

’80年代から現在までの代表モデルは?

1982年、ボルボは760セダンを発表する。当時のボルボらしい四角いきっちりとしたボディを持つ760は、高いユーティリティ性と安全性を強調したモデルであった。85年にはワゴンの760エステートを追加。その後、4気筒バージョンとなる740のセダンとエステートを追加。1990年になると760、740の後継モデルとなる960、940を発表する。
1991年、ボルボは5気筒横置きのFFという意欲的なモデル850を市場投入。93年には850のワゴンモデルとなる850エステートを追加する。
この850シリーズを最後にボルボは3ケタ数字の車名を終了。セダンをS、エステートをV、クーペとカブリオレをCとする車名に変更。
その最初のモデルとなるのが1995年に進投入されたコンパクトモデルのS40とV40。その後、あいついで960の後継となるV90とS90で1997年に登場。850シリーズの後継としてV70、S70、C70が登場。2006年には2ドアプレミアムのC30を発表。
2010年、浙江吉利控股集団が筆頭株主となりボルボは浙江吉利控股集団グループの一員となる。資金も潤沢となったことやグループ内でのブランド構成上の戦略からよりプレミアムなモデルとなる傾向が強まった。XC60やXC90のフルモデルチェンジや新たに投入されたXC40といったSUVを始め、2010年以降にフルモデルチェンジされたモデルは世界的にも高い評価を受けている。
2021年3月、ボルボは2030年には内燃機関をパワーユニットとして使用することを終了し、EVだけのメーカーになると宣言。しかも販売方法はオンラインのみにするということで、大きな注目をあびている。

2022年9月現在、ボルボカージャパンのホームページをチェックしてみると、48Vハイブリッド、プラグインハイブリッド、ピュアEVの3タイプのパワーユニットのモデルがラインアップされていて、エンジンオンリーのパワーユニットは存在していない。このうち、ピュアEVのC40リチャージとXC40リチャージの2車種はオンラインで入手可能となっている。

 

 

■一時期輸入が止まっていたフラッグシップセダンのS90は、2021年8月から受注モデルということで輸入が再開となった

 

 

■ワゴンにSUVテイストを加味したモデルとして高い人気を誇るV60CC

 

 

■XC40は2018-2019日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。輸入車として初の2年連続入賞

 

 

■2021年6月からヨーロッパで受注が開始された電気自動車のC40リチャージ
現在、日本に正規輸入されているセダンは、2代目のS60のみ。米国では3代目が登場している

参考情報 ここもチェック!

モータースポーツでは世界を驚かす成績を築く

ボルボもモータースポーツで活躍したメーカーだ。古くは1965年にサファリラリーでPV544が優勝を飾っている。このときのドライバーはのちに日本車のドライバーとしても活躍するジョギンダ・シン選手。その年のアクロポリスラリーでも122Sアマゾンで優勝を果たしている。
なかでも世間を驚愕させたのが1980年代にETC(欧州ツーリングカー選手権)に参戦した240ターボ。およそ速そうには見えない四角い240を人々はフライングブリック、空飛ぶレンガと呼んだ。しかしこのフライングブリックは1985年、1986年のETCで2年連続チャンピオンとなる。両年、日本のインターテックにも参戦。85年は3位のBMWに7周の差をつけて1・2フィニッシュを飾る。

■チャンピオンナンバーの「1」を背負う240ターボ。1985年に続いて参戦した1986年のインターテックでも優勝を果たしている

■チャンピオンナンバーの「1」を背負う240ターボ。1985年に続いて参戦した1986年のインターテックでも優勝を果たしている

クルマ豆知識

例題/ベルトコンベア方式の製造方法を生み出し、自動車の大衆化に貢献したメーカーは?
①フォード ②オールズモビル ③タッカー ④トヨタ(正解=①)

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