【撤退ブランド①】日本からの撤退を決めた米ビッグ3のうちの1社/フォード・乗用車の輸入販売は撤退するもバスは継続/ヒュンダイ

『ここをチェック』
★日本でのビジネスをあきらめたフォードやヒュンダイ
★ブランドそのものが消滅したサターンやハマー
★PSAグループになったオペル

日本からの撤退を決めた米ビッグ3のうちの1社/フォード

20世紀になってすぐの1903年ヘンリー・フォード(※①)によって創立されたフォード・モーター・カンパニーは、1908年までにAからSまでのアルファベットを冠したクルマを開発するも失敗に終わった。

補足情報

①ヘンリー・フォード

フォードモーターの創業者、ヘンリー・フォードの肖像画。中流市民が購入できる初の自動車を開発・生産したため「カール・ベンツが自動車の産みの親なら、育ての親はヘンリー・フォードだ」とも言われる。彼の孫、ヘンリー・フォード二世は戦後社長を務めた。

しかし、大量生産による価格の大幅ダウンを実現したT型フォードは大成功となり。フォードの隆盛が訪れる。1920年代には日本へも進出、横浜の子安(現マツダR&Dセンター横浜)に組み立て工場を設立するなどした。1979年にはマツダとの資本提携を結んだこともあり、オートラマなどのディーラーを展開。日本での販売も積極性を増す。しかし2016年1月フォードは突然、2016年末までに日本からの撤退を発表・実現した。これを決めたCEOはかつてのマツダの社長、大リストラを決行したマーク・フィールズである。
フォードの人気車エクスプローラー。ハイブリッドモデルも登場している

乗用車の輸入販売は撤退するもバスは継続/ヒュンダイ

韓国のヒュンダイは1967年に創業された新興自動車メーカー。1975年に韓国初の国産車としてヒュンダイ・ポニーが発表された。ポニーはエンジンとプラットフォームが三菱ランサーと共有。ボディワークはジウジアーロが担当し、好調な販売を記録した。スタイリングは非常に精悍で、輸出先のカナダではベストセラーになるほど人気を博した。2000年にはヒュンダイモータージャパンを設立し、日本でのビジネスを本格的に開始する。輸入されたモデルはセダンのXGやソナタ、SUVのサンタフェ、ミニバンのトラジェ、コンパクトのTB、スポーツカーのクーペなど多彩さを誇ったが販売的には振るわず、2010年で乗用車は完全に撤退。現在は大型バスのユニバース(※②)のみが輸入販売されている。

補足情報

②ユニバース

現在、乗用車部門は日本から撤退したヒュンダイだが、バス部門は存在。大型観光バスのユニバースは現在でも多くのユーザーに支持されている。

同じプラットフォームでHV、PHV、EVのバージョンがあるアイオニック

参考情報 ここもチェック!

世界で2番目に多く生産されたクルマ

1908年に発表、1909年から本格的な生産に移ったT型フォードは、1927年までの間に1500万7033台で、VWタイプ1(ビートル)の2152万9464台に次ぐ生産台数。徹底したコストダウンと大量生産によって、それまで高価だった自動車の価格を破壊。労働者が消費者になることを可能にした。30年近くも作り続けられたT型は、フォードに多くの利益を生むとともに、あまりのロングセラーによる開発の停滞というふたつの大きな事柄を招いた。また、T型の次に1ランク上のクルマと考えたとき、フォードが選ばれなかったということもあったという。

1909年に850ドルだったT型フォードは1926年には290ドルまで価格がダウンしている

1909年に850ドルだったT型フォードは1926年には290ドルまで価格がダウンしている

クルマ豆知識

例題/2020年ホンダと次世代EVの共同開発を表明した海外メーカーは?
①ダイムラー ②GM ③フォード ④ステランティス(正解=②)

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