【トミカの世界①】トミカの歴史(1970年に発売)

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★1970年、6種類の国産車よりスタート。
★現在までの累計出荷台数は6億台以上。
★世代を超えて楽しめるミニカーへと進化。


トミカの歴史(1970年に発売)

世代を超えて、日本の子供たちに愛され続けているダイキャスト製ミニカー「トミカ」が玩具メーカーであるトミー(現タカラトミー)から発売されたのは、1970年(※①)のこと。当時、手軽に購入できるミニカーが少なく、また小さなミニカーも輸入品しかなかったことから、当時、社長を務めた富山允就の「日本の子供たちには、なじみ深い日本車のミニカーで遊んで欲しい」との想いから誕生した。

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1970年

アポロ13号が打ち上げられ、ビートルズが解散した1970年。トヨタ・カリーナとセリカ、日産チェリー、三菱ギャランGTO、マツダ・カペラ、ホンダ1300クーペとZ、スズキ・ジムニーなどの初代モデルが投入された


発売当初のラインアップは、「ブルーバードSSSクーペ」、「コロナ マークⅡハードトップ」、「クラウン スーパー デラックス」、「クラウン パトロールカー」、「トヨタ2000GT」、「フェアレディZ 432」の6車種からスタート。これは、街角で活躍するクルマや働くクルマ、そして、憧れのスポーツカーを基準に選んだという。当時の価格は180円であった。
トミカは、ミニカーの縮尺を統一せず、全長を7~8センチに収まるように作られる、いわゆる「3インチミニカー」に分類されるものだが、これは世界的な基準を意識したわけではなく、開発者たちが、子供が持ちやすく、誤飲の恐れがないようにと、遊びやすさと安全性を熟慮し、決定したものだった。
当時珍しい国産車のミニカー(※②)ということもあり、発売と共に幅広い層の子供たちに支持され、それに応えるようにラインアップも拡大。翌年には23種類を加え、4年後の1974年には、100種類を達成するまでになった。そんな充実のラインアップは、時代を反映したものも多く、70年代後半にはスーパーカーブーム(※③)を受け、カウンタックなどのスーパーカーも積極的に商品化された。

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②珍しい国産車のミニカー

輸入品が主流だったため、モデルは全て外国車。国産品は限られており、サイズも大きいものが主流。現存する日本最古のブランドは、1965年に誕生したダイヤペットだが、こちらは1/40スケール(当時)だった。

③スーパーカーブーム

池沢さとし(さとしは旧ペンネーム、現在は早人師)が1975年より週刊少年ジャンプで連載した「サーキットの狼」で、大活躍するスーパーカーに子供たちは夢中に。スーパーカーグッズが飛ぶように売れ、全国各地で開催された展示イベントも大盛況だった。


これまで世に送り出されたトミカは、約1050種類。累計出荷台数は、6億7000万台(2020年1月)を突破しており、トミカを全部並べていくと地球1周分を超えるというから驚く。日本国内を中心に販売され、アジアを中心に海外展開もされている。
現在、トミカのラインアップは、全140種類(ロングタイプの20種類を含む)を揃える。以前は不定期だったが、30周年を迎えた2000年より「第3土曜はトミカの日」とし毎月2台ずつ既存の商品と入れ替える形で新商品を発売している。


トミカは1970年に誕生。当初は身近な国産車から選び抜かれた6台からスタート

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もう一つの魅力プラレールの世界

チビッ子たちにトミカと並び人気が高い鉄道玩具「プラレール」のルーツは、実はトミカより古く、1959年に誕生した「プラスチック汽車レールセット」まで遡る。1961年には電動化され、電池で3両編成の車両を走らせるプラレールの基本が構築された。
その後、新幹線が開通した1964年には「ひかり号」を発売するなど、車両の作り込みにもリアルさが追及されるようになり、子供たちに大人気に。トミカの高い作り込みの原点は、プラレールにあったといっても過言ではないだろう。

2020年から走り始めたN700S系新幹線(確認試験車)もすでにプラレールとなっている
JR東海承認済 (C)TOMY 「プラレール」は株式会社タカラトミーの登録商標です。


プラレールデビューの人でも十分に楽しめるN700S系新幹線(確認試験車)を使った立体レイアウトセットが2020年9月に発売予定


クルマ豆知識
例題/ケータハム160に採用された軽自動車用エンジンのメーカーは?
①ホンダ ②スズキ ③ダイハツ ④三菱(正解=②)


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