【スズキ②】往年のスズキの代表的なモデルは?・´90年代から現在までの代表的なモデルは?

往年のスズキの代表的なモデルは?

総排気量360㏄の2ストロークエンジンを搭載したスズライトで4輪車事業に参入したスズキ。1961年にスズライトキャリイで軽トラック界に進出すると、1965年にはフロンテ800にて、満を持して小型乗用車ビジネスの分野に打って出た。
1970年には軽自動車で初めてとなる本格的4輪駆動車として、かの有名なジムニーが登場。現在まで続く、スズキのビッグネームの誕生である。
翌1971年に発売された2シータークーペのフロンテクーペは、イタリアの名デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロが原案を作り、スズキ社内でデザインを完成させた美しいスタイリングが魅力となる。後継モデルのセルボとともに、当時多くの人を魅了したクルマであった。
スズキの屋台骨である軽自動車アルトが登場したのは1979年のこと。47万円という驚異的な安さと、テレビCMのインパクトもあり、爆発的なセールスを記録した。アルトの成功と、1981年のジムニーのモデルチェンジ、そして1983年登場の軽ピックアップのマイティボーイを原動力に、スズキは軽自動車ナンバーワンメーカーとしての地位を徐々に固めていったのだった。


1970年に登場した軽自動車のオフロード4WD、ジムニー。今年20年ぶりにフルモデルチェンジした

360cc規格の廃止を受けて、550ccの新軽規格車として1977年に発売されたセルボ。寸法も若干拡大

フロンテクーペは、ジウジアーロがベースデザインを担当した斬新なデザインが特徴の軽自動車

マイティボーイは、2代目セルボの後方を切り取ってピックアップ形式にした軽自動車

現在も続くアルトの初代モデルは1979年の登場。「アルト47万円」というテレビCMも印象的だった

90年代から現在までの代表的なモデルは?

1983年にリッターカーのカルタスを登場させると、1988年にはライトクロカンの先駆けとなるエスクードを発売する。1991年にはFRオープンスポーツ、カプチーノを発売し、スズキは「スポーティなクルマを作るメーカー」としてのイメージを強調した。
順調に販売台数を伸ばすスズキは、1993年に「軽トールワゴン」というまったく新しいジャンルを開拓するワゴンRを投入。これが大ヒットとなり、軽自動車の販売台数1位に長く君臨しただけでなく、登録車も含めた全体のランキングでトップを記録したこともあるほどの、圧倒的な人気を博した。
2003年に登場したツインは、軽自動車としては初のハイブリッド車。意欲的なモデルではあったが残念ながら販売は振るわず、わずか3年足らずで生産終了となった。
のちにカルタスに代わる小型車となるスイフトが登場したのは2000年。
近年では2014年に登場した軽自動車のハスラーが大ヒット。2018年、スズキの象徴とも言えるクロスカントリー4WDのジムニーが約20年ぶりにフルモデルチェンジした。


「トールワゴン型軽乗用車」という新ジャンルを開拓し、爆発的にヒットした初代ワゴンR

カプチーノは1991年に登場した軽自動車のFRオープン2シーター。ルーフは3ピース構造

2013年の東京モーターショーに展示されたときから話題となっていたハスラー

初代スイフトの登場は2000年。そして2004年登場の2代目が走りのよさで大ヒットモデルに

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インドと親密な関係を築くスズキの戦略

日本の自動車メーカーの海外進出はめざましく、各社それぞれに思惑をもって、さまざまな国に進出している。そうしたなかで、スズキはインドという一風変わった国へ積極的な進出を行った。これは1970年代にインド政府が打ち立てた国民車構想にスズキが協力したことに端を発している。
1981年。インド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ・リミテッド」としてスタート。1983年より生産を開始した。当初はインド政府の持ち株比率が高かったが徐々にスズキが比率をアップ。2006年には民営化され、翌2007年に現在の社名である「マルチ・スズキ・インディア」に社名を変更。2016年、同社製のバレーノの輸入を開始した。2018年6月には累計生産台数2000万台を達成した。

インド製のクルマが日本に正式に輸入されるのは初めての出来事。エンジンは1ℓのターボを日本仕様車として用意。当初プレミアムだった使用燃料をプレミアムからレギュラーに変更した


クルマ豆知識
例題/F1GPにおいて13年前にホンダエンジンで優勝したドライバーの名前は?
① 佐藤琢磨 ②ジャック・ヴィルヌーブ ③ジェンソン・バトン ④ルーベンス・バリチェロ(正解=③)


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