【戦後~1960年代の自動車②】この時代を代表する海外のモデルは?・この時代を代表する日本のモデルは?
この時代を代表する海外のモデルは?
戦前は富裕層向けの乗り物であった自動車だが、フォルクスワーゲン・タイプ1のヒットにより「大衆車」というムーブメントが起こった戦後、ルノーはタイプ1の影響を感じさせるリアエンジンモデル「4CV」を発売し、成功を果たす。シトロエンも大衆車の2CVを発売するが、こちらは空冷2気筒エンジン+FFレイアウトというオリジナル路線をいった。
’50年代に入ると高性能化が進み、その先鋒となったのが1950年に登場したランチア・アウレリアだ。世界初のV型6気筒エンジン搭載車であり、トランスミッションとデフを一体化した「トランスアクスル」をリアに配置する方式を採用した。高性能を極めたメルセデス・ベンツ300SLも歴史に残る1台。一部にアルミを使用した軽量ボディは、美しさも備えた一級品だ。直列6気筒の3ℓエンジンは最高出力215馬力を誇り、1954年の市販車としては群を抜いていた。
1960年代にはスポーツカーの雄、ポルシェ911がドイツで誕生している。911の前身にあたる356と同様、空冷エンジンをリアに搭載するRRレイアウトのスポーツカーではあったが、エンジンが4気筒から6気筒に改められ、格段にその力強さを増した。
VWのタイプ1に影響を受けたRRの大衆車が多いなか、FFレイアウトを採用したシトロエン2CV
世界で初めてV6エンジンを搭載したランチア・アウレリア。GTカーのパイオニア的存在だ
ルノー4CVは1946年に登場したRRの実用車。形状からもVWタイプ1の影響がうかがえる
初代ポルシェ911は356のレイアウトを踏襲しながら、運動性能を飛躍的に向上させている
ガルウイングドアが特徴的なメルセデス・ベンツ300SL。ロードスターは横ヒンジドア
この時代を代表する日本のモデルは?
日本のモーターシーンはふたつの意味で1955年に転換期を迎える。ひとつはトヨタのクラウンの発売。トラックベースの乗用車が主流だったなか、専用設計で純国産の技術で開発されたクルマの登場は大きな前進と言え、当時の人々に夢と希望を与えた。
2つめは、通産省による「国民車構想」の発表だ。これにより自動車メーカーの意欲がかき立てられ、1958年にはスバル360が発売されている。てんとう虫の愛称を持つこのクルマは、40万台近くを販売する量産軽自動車となった。
国産メーカーは勢いに乗り、1963年にはホンダが初の乗用車、DOHCエンジンを搭載するオープンスポーツのS500を発売。前年のダットサン・フェアレディ、1965年のトヨタ・スポーツ800、1967年のトヨタ2000GTとスポーツカーが続々と登場した。
しかし、同時に「ファミリーカー」も着実に増えていったのがこの時代だ。1966年に登場したトヨタ・カローラは、大衆車でありながら「デラックス感」を演出し、日本におけるいわゆるマイカーブームの立役者となった。
マツダがまだ東洋工業と呼ばれていた時代、初の乗用車となる軽自動車のR360クーペ
トヨタが本気でショーファードリブンの世界に参入したのが1967年発表のセンチュリー
ダイハツの3輪トラック、ミゼットは戦後の経済復興に大きく貢献したモデル
初の乗用車が、DOHCエンジンを搭載するスポーツカーS500というのがいかにもホンダらしい
参考情報 ここもチェック!
偉大なる小型車ミニを作った2人の天才
自動車界の天才と言えばフェルディナント・ポルシェ博士が有名だが、イギリスにも2人の天才技術者がいた。
一人はアレック・イシゴニス。FF小型車はスペースの問題で2気筒が主流だった1950年代に、トランスミッションをエンジン下に配置する2階建てレイアウトを採用することで4気筒の搭載を可能にした天才だ。
もう1人は、サスペンションに金属コイルではなくゴムばねを使うことで、コストとスペースを抑えようとしたアレッス・モールトン。
この2人が手を組み生み出したのが、1959年から40年以上も生産された偉大なる小型車「ミニ」である。どちらのテクノロジーも主流とはならなかったが、間違いなく自動車産業に一石を投じた技術とはいえるだろう。