【戦後~1960年代の自動車①】戦後の復興から活気を取り戻した ’50 年代
『ここをチェック』
★戦後の復興で大衆車が続々登場した’40年代後半
★’50年代は高性能化が進み、戦前の勢いを取り戻す
★高性能化とともに安全性が注目された’60年代
戦後の復興から活気を取り戻した’50年代
第二次世界大戦は戦勝国であるアメリカや英国、フランスすらも疲弊させ、戦後の自動車産業は戦前のモデルの再生産、あるいはマイナーチェンジをして販売することから始まった。
そうしたなかで注目を集めたのが、KdFから「タイプ1」に名称を改めたフォルクスワーゲンの大衆車だ。その実用性の高さ、求めやすい価格設定から世界中でヒットし、似たようなコンセプトのクルマが数多く生み出されることになった。 1950年代になると世界経済は活気を取り戻し、アメリカ車が隆盛を極める。大排気量でメッキのパーツを多用した豪奢なモデルが数多く登場し、パワーステアリングやエアサスペンション、ボタン式ATなどの装備が次々と投入された。
エンジンの開発が進んだのもこの時代の特徴だ。イタリアでは世界初のV型6気筒エンジン(※①)搭載車が登場し、また戦前はレース用など超高性能車にのみ採用されていたDOHCエンジンが量産されるようになった。アメリカのクライスラーは、シリンダーヘッドの形状を半球状にしたHEMIエンジンを開発。そしてダイムラー・ベンツはインジェクションシステム(燃料噴射装置)を登場させている。
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①V型6気筒エンジン
現在6気筒エンジンの主流となっているV型配列は、1950年に初めて市販車に導入された技術。シリンダーを縦に配置する直列6気筒の約半分の長さで済むため、車体への搭載の自由度が高い。ちなみに、最初のV6はバンク角60度で、バンク間にカムシャフトが配された。
1960年代もまた成長著しい時代だった。航空機ではなく自動車では初めてターボチャージャー(※②)がエンジンに装着されたり、日本とドイツでロータリーエンジンが実用化されるなど、さらなる高性能化が進んだ。
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②ターボチャージャー
排気を利用して空気を圧縮しエクストラパワーを得るターボチャージャーは、もともとディーゼル機関車向けに開発されたもの。それを自動車に初めて採用したのはアメリカのGMで、オールズモビルF85とシボレー・コルヴェアにオプション設定された。
エンジンが高性能になれば、必然的に安全への要求も高まるもの。その方面も進化は激しく、衝突安全ボディ(※③)やディスクブレーキ、三点式シートベルトなどの今日でも一般的な安全装備が登場し、パッシブおよびアクティブセーフティも向上した。
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③衝突安全ボディ
衝突安全ボディを最初に導入したのは、1953年に発表されたメルセデス・ベンツ180シリーズだ。キャビン部分は強固に、それ以外の部分は潰れやすくすることで、万が一の事故の際には衝撃を吸収するという構造になっている。
戦後しばらくは大衆車が全盛だったが、’50年代に入ると高性能モデルやゴージャスなモデルが登場
参考情報 ここもチェック!
’60年代、日本車がスクリーンに登場
イギリス情報部(MI6)のエース諜報部員であるジェームズ・ボンドが活躍するスパイ映画007シリーズ。
毎回、主人公が乗るボンドカーが変わることでカーマニアには有名だが、1967年に公開された『007は二度死ぬ』ではトヨタ2000GTがボンドカーに抜擢されている。
同車は本来クーペなのだが、ジェームズ・ボンドを演じるショーン・コネリーが189㎝とかなりの長身のため撮影に向かず、急遽オープン仕様に改造されたという逸話がある。
1962年から始まった同シリーズ全23作で唯一の日本車だが、丹波哲郎演じる日本の諜報部員の所有で、運転もジェームズ・ボンド自身はしなかったため、正確にはボンドカーではないという意見もある。